北原語録
それでは、みなさま、おさらばえ。きっとまた会えるから、いいよ。
出会いの数だけ、別れがあります。人は生まれたときから出会いが始まります。お母さん、お父さんに出会い、そして多くの人に出会います。今までに色々な人との出会いがあったはずです。出会いがあるから、別れもあるのです。別れるときは、つらく、そして切ないものです。前者は身請けが破談になり、南方仁に乳がんの手術を受け、ペニシリン製造所を去る元花魁・野風の言葉です。後者は、そう言う野風に仁がかけた言葉です。そして、雪が降り始めます。龍馬が「野風!まだ雪になりたいがか!?」と叫ぶと、野風は振り返り、アッカンベーをします。そして、こう続けます。「まっぴらごめんでありんす!これからは己の足で、行きたい所に行くでありんす。そこで誰かと出会い、誰かに慕い慕われ、誰よりも幸せになるでありんす!仁先生に生まれ変わらせていただいたのでありんすから・・・」と。私たちも、いつかは死を迎える日がやってきます。ですが、元気なうちは新たな出会いが待っています。一度会った人とは生きている限り、本当の別れなどありません。そして、明日から、まったく知らなかった人にお世話になっているかもしれません。「さようなら」という言葉には、そういう意味合いが込められています。今号をもちまして、本誌は休刊とさせていただきます。長い間、ご愛読いただき、誠にありがとうございました。それでは、みなさま、おさらばえ。
リスクを恐れ、動かないなんていうのは、年金と預金が頼りの老人のすることだぜ。しかし、持たざる者、若者がそれじゃ、話にならない!
日本人がリスクを避ける傾向は世界一で、他の先進国の人たちと比べてもずば抜けて高いそうです。この「リスク回避傾向」は、一度失敗したら終わり、もう取り返しがつかないという深層心理が根底にあるからです。でも、セカンドチャンスは転がっています。見過ごしているだけです。そのことをカイジは教えてくれます。カイジは、『週刊ヤングマガジン』に連載された福本伸行さんの漫画です。保証人(これもリスクです)になったため、多額の借金を抱えたカイジが、色々なギャンブルに挑んでいく物語です。昔だったら、熱血漫画のように一生懸命努力すれば人並みの生活が約束されましたが、今は自分でリスクを背負い、戦略と分析を駆使して、必ず勝つというのがセオリーです。「上司は部下の才能を引き出すよう指導しなければならない」といった管理職マニュアルが今でも横行しているようですが、才能は誰かに引き出してもらうものではありません。目の前にあるリスクは5年、10年のロング・レンジで考えれば、たいしたものではありません。むしろ、今リスクを取らないことのほうがよっぽど危険です。未来を誰も守ってくれないからです。今のうち、思い切り失敗しておけばよいのです。人生はギャンブルですが、10割の打率を求める必要もありません。若いうちに思い切り空振りしてみるのも勉強になるはずです。でも、絶対出塁できない見逃し三振だけは止めましょう。一度取引が切られて「もうだめだ」と諦めることはありません。セカンドチャンスに賭けましょう。
母ちゃん!平凡が1番だゾ!普通に生きたいと思っても簡単にいくもんじゃないゾ普通の人生がおくれたら、でめたし、でめたしなんだゾ
普通の女の子に戻りたい―――。そう叫んで絶頂期にあったキャンディーズが1977年に解散しました。おそらく、目立つ生活をした結果と普通の生活をした結果から導き出した答えだったのでしょう。一体「普通」とは、何者なのでしょうか。経験や知識などを踏まえて独自の基準で線引きをしてしまいがちですが、その基準は明確なようで実は曖昧です。普通な生き方も普通じゃない生き方も、同じだけ苦労があり、良さがあるものです。ところで、あなたは「思っていたより普通だな」と言われたとき、「はい、何でも普通にこなせます」と即答できるでしょうか。非凡であることより、はるかに大事なことがあります。それが「普通」であるということです。実際、世の中で活躍している圧倒的大多数は、秀でた「何か」を拠り所にする人ではなく、何事もそつなく「普通」にできる人なのです。今号の言葉は、「クレヨンしんちゃん」こと、野原しんのすけのセリフです。これはもう幼稚園児のセリフではありません。こういう心境に達するまでには、幾度となく葛藤を経験しているはずです。作者がしんちゃんの口から発する方法を取ったことで、より純粋なメッセージに聴こえます。私は、「普通の人生」とは苦い水と甘い水を交互に飲みながら、コツコツと山道を登ることだと思っています。けれど、人生に一度は目立つ生活をしなければ、普通の生活の有難さが分かりません。今から「目立つ」を目標に、普通の生活を送りながら、努力してみてはいかがでしょうか。それが、あなたにとって最良の人生になるはずです。
限界はあるものではなく、自分で決めるものでござるよ。
幕末の日本を舞台に“人斬り抜刀斎”と呼ばれた伝説の人斬り緋村剣心は、身長158㎝、体重48㎏と短身痩躯・赤髪の優男で、左頬の大きな十字傷が特徴です。彼は、新時代「明治」の幕開けとともに歴史の表舞台から忽然と姿を消し、その名は伝説化します。それから10年、人を斬ることを自ら堅く禁じた抜刀斎は、その刀を決して人を斬ることのできない「逆刃刀」(さかばとう)に持ち変え、弱い立場の者を救い、本当の意味での維新を成し遂げるため、東京の下町に現れます。ただ、剣心の最強伝説に挑み、最強の名を自らの手中に収めたい輩が、剣心たちを付け狙います。果たして剣心は「殺さず」の誓いを破ることなく、仲間を守りながら生き抜いていけるのでしょうか。今号の言葉は、そんな剣心のセリフです。多くの限界は、自分の中に潜む恐怖や不安に勝てないときに現れます。自分自身(肉体と精神)を冷静に見つめ、自分の恐怖や不安と戦わなければ、自分の限界を自分で決めることなどできないのです。やらないで終わるより、やってみるほうが人間としてはるかに器が大きいように思います。ビジネスの世界では、これからもますます複雑で予測不能な状況が襲ってくることでしょう。そんなとき、冷静に判断して挑戦し続けられる器が求められます。新しい波を、自分で起こすのです。新しい勢いを、自分でつけるのです。これができなければ今月の差がつき、来月の差がつき、年末には大きな差となって現れます。さあ、「言い訳」を見つける前に、「達成感」を味わうようコンセントを差し替えましょう。
死んでいった者らに報いる方法は一つしかないち。もっぺん生まれてきたい、そう思える国にすることじゃき。
ご存知でしょうか、医師にも漫画フリークが多いことを。メドピアが実施した「医師が最も好きな医療マンガアンケート」によると、断トツが「ブラック・ジャック」、2位が「JIN-仁-」、3位が「ブラック・ジャックによろしく」でした。その中から、「JIN-仁-」の一編を簡単にご紹介しましょう。仁は、龍馬とともに京都に旅立ちます。1864年は、池田屋事件、八月十八日の政変、禁門(蛤御門)の変など歴史的地殻変動を経験した年です。禁門の変が起こっている中、仁は京の臨時診療所で治療に専念しますが、頼りのペニシリンが底を尽き、患者の死を見続けることになります。死者を見送るしかない仁は、無力感に打ちひしがれます。今号の言葉は、そのとき坂本龍馬がかけた言葉です。龍馬は封建社会を打ち崩し、民主主義国家へ続く道の礎を築きました。今こそ、現在を生きる日本人も古着を脱ぎ去り、新しい衣服に袖を通すときではないでしょうか。政治家のせいでも、官僚のせいでもありません。世の中の景色を変えるのも変えないのもあなた次第です。それが積もり積もって世の中が変わっていくのです。死の危機にさらされた重症患者を奇跡的に助ける「ブラック・ジャック」に憧れて、医学部へ進んだ医師も少なくありません。あなたは無力感に打ちひしがれた医師に龍馬のような前向きな言葉をかけることができるでしょうか。ぼくたちは、当たり前だと思っている。世界中、どこへでも行けると思っている。満ち足りた世界がいつまでも続くと思っている。昼も夜も輝いている。それらは、すべて与えられたものだ。ぼくたちは、さらなる光を与えなくてはならない。ぼくたちのこの手で・・・(「JIN―仁-」より)。
侠に生き、仁を貫き、義に報いるがこそ我らの誇り
この言葉は、広江礼威さんの『BLACKLAGOON』に登場する鷲峰雪緒(わしみねゆきお)のセリフです。お話は、タイの架空の犯罪都市ロアナプラを舞台に、ギャラさえ支払えば法に触れるような荷物でも魚雷艇(第2次世界大戦で使われた米国製エルコ80フィート級PTボート改造型)で海上輸送を行なう運び屋と、いわゆる裏社会に属する組織や人物たちが繰り広げる世界をノワール風(心理の闇を深く掘り下げた)に描いています。鷲峰雪緒は、関東和平会「鷲峰組」組長・鷲峰龍三の一人娘です。彼女はとても極道の娘とは思えないおとなしい文学少女でしたが、物語の進行とともに変わっていき、鷲峰組を継承します。侠、仁、義は裏社会の人たちが好む漢字ですが、どのような意味を持っているのでしょうか。「侠」は、両わきに子分を従え、大の字に立つ親分を表しています。そして、左側の人偏は庶民を指します。ですから、困っていたり、苦しんでいたりする人を助けるために体を張る自己犠牲的精神を持つ集団を意味しています。「仁」は、孔子の思想の源泉です。事実、頻繁に『論語』の中に登場します。孔子が言った「われ一を以って貫く」とは「仁を以って貫く」という意味で、相手に対する思いやりの心が仁なのです。そして、「義」という漢字は、羊(ひつじ)と我(のこぎり)でできています。羊は、古代、神への生贄だったそうです。ですから、羊は漢字の世界で神の代名詞として扱われています。我は、ぎざぎざの形をした矛を表しています。つまり、義とは、神や天に対して、のこぎりの歯並びのように美しく折り目正しい姿勢で向き合うことを意味しているのです。侠、仁、義は表社会でも通じます。
現実を見る角度、置き換える場所、それらがすべて違うだけで心の中は大きく変わる
『新世紀エヴァンゲリヲン』の最終話は、謎の多い終わり方でした。ジンジが搭乗するエヴァンゲリヲン初号機を中心に物語が展開され、全人類の運命がジンジの願望一つにゆだねられます。そのような立場に置かれたシンジが、初号機の中(自我の境界があるともないとも見極められない曖昧な世界)で悩み苦しみ葛藤した末に、一つの答え(自分の居場所、存在意義)を見つけ出します。そのため、「世界の中心でアイを叫んだもの」というタイトルが付されたのです。「アイ」とは、日本語の「愛」と英語の「I」(自己主張)がかけられています。今号の言葉は、NERV本部でオペレーターを務める伊吹マヤニ二尉の名言です。真実は人の数だけ存在します。でも、あなたの真実は一つです。狭量な世界観で作られ、自分を守るために偏向された真実です。非常に複雑な現実のありようを正しく把握しようと思うなら、一つの角度から捉えてはいけません。私たちは、マンネリ化した生活にうんざりしているはずです。であるならば、それを脱ぎ捨て、もう一度違った角度から、人を見たり、物を見たり、自分を見たりしてみてはいかがでしょうか。そうすることで、新しい発見と新しい意義に出会うことができるはずです。自分が見る角度を変えたとき、また違った風景が見えてくるのです。全体的な視野、さまざまな角度から問題に光を当てる必要があります。心の思いが現実を作り出しているということに気付けば、現実も変わったものになります。
そんなセメー世界に一人でいたって、何も変わりゃーしねーんだ
これは『GTO』の主人公で、いつもダチ(生徒)の心をノックし続けるグレートなティーチャー、鬼塚栄吉の言葉です。枯葉は私たちの足もとに舞い降ります。こんな奇跡的なことが無限に発生して、日常が形成されているのです。医療・医薬品業界は、厚生労働省が創り上げた、ちっぽけな規制社会です。そんな社会を縛る様々な規制を常識として許容すると、鈍感になってしまいます。「なぜ8桁の年収がとれるのか?」「なぜ8桁の年収がとれないのか?」を考えてみたことがあるでしょうか。多様性が失われた社会では価値観が統一されてしまうので、「なぜ?」という問いかけが生まれにくくなります。また、「なぜ?」と問いかけると周囲の非難を浴びます。それは怖いことなのでしょうか。「なぜ?」を否定している社会は、基本的に長続きしません。「なぜ?」と否定して価値観を固定化してしまうと、社会全体の世界観が固定化するので、活力が失われます。実は、今の閉塞感はここから生まれているのです。100年前にIBMの創業者トーマス・ワトソンが机を叩きながら「Think!」と怒鳴ったそうです。“Think”を再び考えることはIBMにとって、新しく、また伝統的なテーマなのです。ユートピアは、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した『ユートピア』に登場する架空の国家の名前です。ユートピアは現実に存在しない理想社会として描かれていますが、その意図は現実社会と対峙させることで、批判を行うことにありました。「なぜ?」が医療・医薬品業界を変える原動力なのです。
後になって悔しがっても始まらない。後悔とはそういう言葉だ。
金八(武田鉄矢)が山田裕子(浦明子)の家に着くと、太吉(前田吟)は安らかな眠りについていた。朝から様子がおかしいので医者を呼びに行ったが、戻ったときには既に息がなかったという。「父の最期を看取ることができなかった」と後悔する裕子を、金八は「自分を責めちゃいかん」と慰め、2人でがんばって葬式を出してやろうと励ます――。誰しも感じたくない気持ちが「後悔」です。「後悔」とは、「ああすればよかった、こうすればよかった」と後から悔いることで、私たちが避けたいと思っているものです。仕事でも、恋愛でも、対人関係でもそういう機会がたくさんあります。「後悔先に立たず」という諺もありますが、後悔してもどうしようもない、と頭で分かっていても執着心が勝ってしまうことがあります。未来に背を向けた分だけ、これから先の将来が不安に苛まれます。現在から目を背けた分だけ、足元がふらつき、一層不安感が募ることでしょう。ですから、暗闇の中に落ちていくような気持ちになりますが、その衝撃が様々なメッセージを伝えてくれます。それは、「過去ではなく、今を見つめること」「後悔があなたの隠れた才能を教えてくれること」です。あきらめないで現実と向き合い、自分らしさを実現していくことに今は意識を傾けてみましょう。それこそが、「今を生きる」ということだからです。
うろたえるな!思考を止めるな!生きることをあきらめるな!
この言葉は、「焔の錬金術師」という異名を持つロイ・マスタング大佐が、瀕死の重症を負った女性副官、リザ・ホーグアイ中尉に投げかけた言葉です。皆さんは、「生きる」ということを真剣に考えたことがあるでしょうか。それは、自分が持っている可能性を形にすることです。野に咲く花は、たとえ見てくれる人がいなくても、人から賞賛されるような華やかな花でなくても、それをひがむことなく、ただひたすらに精一杯咲くことでしょう。生きることとは、そういうことだと思います。自分が持っている可能性を精一杯発揮する、そして少しでも自己実現できれば、それが生きる喜びになるはずです。自分が持っている可能性が開花したとき、人は美しく輝けます。これは、その人の能力やステイタスや年齢がどうであろうと変わりません。そしてこれは死ぬまで変わらない原理だと思います。死という終着駅が近づけば近づくほど、今まで達成してきたことを、一つずつそぎ落として行く作業が必要になります。そぎ落とすことで、今やるべきことがはっきり見えてくるからです。そして、自分の価値を高め、自分を売り込み、自分でお金を手に入れましょう。うろたえず、思考を止めず、生きるという理想をあきらめずに・・・。今ある困難は、必ず自力で超えることができる困難です。マスタング大佐は、女ったらしで軽そうに見えますが、実は誰よりも「生きる」ということを大切にする人物です。
「こうなりたい」と思うことが、実現の第一歩だ。
「海賊王に俺はなる!」--。ルフィの目指す「海賊王」とは、ワンピースにたどり着いた者を指しています。ワンピースの世界には、誰も語ることができない歴史が存在します。この「空白の100年」に隠された過去を紐解く、リオポーネグリフ(歴史書)を解読したとき、“ひとつなぎ(One Piece)”の歴史が明らかにされるのです。それは、過去に全世界の海を支配していた「D」の意思を継ぐ者の歴史であり、海賊王の一族であったことを証明してくれます。同じように、「こうなりたい」「こうありたい」と方向性を決めることは、自分磨きの第一歩になります。まずは、本・雑誌・テレビ・電車の中刷り広告・会話などのInputから、アンテナにひっかかった「とっておきの名言」を見つけましょう。それは、世間一般で名言と言われるものではなく、自分が「こうなりたい」「こうありたい」という理想像を語っている言葉だからです。人は、「○○のようになりたくない」「○○してはいけない」といったネガティブシンキングに陥ると、そうなってしまう確率が高くなります。選手を伸ばせない監督は、「いいか、絶対高めのボールには手を出すなよ」と指示します。逆に、選手を伸ばせる監督は、「今日は低めのボールを狙っていこう」と伝えます。仕事で成功したい、金持ちになりたい、誰からも好かれる素敵な人になりたい、人間関係に恵まれたい・・・。程度の差こそあれ、誰しも「こうなりたい」という願いを持っているはずです。でも、願いだけでは実現しません。実現するためには、努力や運も必要ですが、物事をポジティブに捉え、行動することが大切です。ポジティブシンキングこそ、成功をつかみ、なりたい自分になるための秘訣なのです。
幸せだから笑うんじゃないよ。笑うから幸せになるんじゃ。
ある日、街を歩いていたまる子は、道端で自分のおばあちゃん(こたけ)を見かけました。おばあちゃんは、昔の友人らしいおじいさんと偶然出会って、とても楽しそうにしています。しかも、そのおじいさんにハグされたところを目撃したまる子は、「おばあちゃんが浮気しちゃう!」と焦りました。次の日、おばあちゃんがそのおじいさんに会いに出かけたのでこっそり追跡します。おばあちゃんがそのおじいさんと再会したとき、友蔵が「わしの妻に手を出すな!」と言ってのけるのですが、実はおばあちゃんの幼なじみだったのです。帰り道、友蔵に「嬉しかったよ」とおばあちゃんが告げます。とても幸せな気持ちになったまる子でした。こたけさんの言葉は、人生の真実を言い当てています。「笑うから」元気が出て、生きる力が湧いてくるのです。笑っている最中は、笑いに集中しているので、心が空っぽになります。雑念・妄念が吹き飛んでしまうのです。心が自由になるわけです。そこにゆとりが生まれます。これが笑いの「解放作用」です。笑いの後は、笑う前にあった自分を見つめなおすことができます。そこには多少なりとも新しい自分がいます。「スッキリした」「気持ちが軽くなった」という表現はそれに当たります。笑いが、生きる力の「後押しエネルギー」になるのです。幸せな人は、笑うことができるし、笑わせることもできます。笑いを我慢することは、幸せを我慢することです。それは人生を我慢することに結びつきます。自分も笑い、相手を笑わせる工夫をしましょう。
ジャンケンのように、人はどこかで負けて、どこかで勝つ
面白いアメリカンジョークを見つけました。神様から何でも欲しいものをやると言われた男が一生困らないだけのお金が欲しいとお願いします。神様は望みをかなえてくれたのですが、その額の少なさに男が不満を言うと、神様は「これでも充分過ぎるんだよ。どうせお前は明日死ぬんだから」と告げます。人生の時間割は、足し算と引き算で、帳尻が合うようにできています。このバランスを取る時間は、リアルタイムで刻々と働いています。だから、安心してください。この世の一切の状態にムダはないのです。自分が「する」ことは、どんなことでも必ず「生きる」のです。ビジネスシーンで当たり前のように使われる「戦略」「戦術」という言葉は、「戦争用語」です。いったい、いつからビジネスが「戦争」になったのでしょうか。確かに、ビジネスにおける「負け」の状態はビジネスを志向する者にとって、避けなければならない結論と刷り込まれてきました。結果だけが重要で、プロセスには意味がないし、ムダは徹底的に省かれるべきだとも教えられてきました。しかし、こんなビジネス観でいいのでしょうか。「上り坂の時代」と違って、今は「下り坂の時代」です。「下り坂の時代」ですから、みんな「負け」です。日々の敗北感、負け感にさいなまれたときは、経営理念を復唱してみましょう。「私欲」+「公欲」=「志」=「経営理念」という方程式は、回り道のように見えるあなたの取り組みに負けもムダもないことを気づかせてくれます。そして、いつかは帳尻が合うものです。
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない。
後に「経営学の巨人」と呼ばれるピーター・F・ドラッカーは、ドイツやイギリスで働いていた若い頃、3人の優秀なメンター(上司)と出会います。3人の上司は、ドラッカーを何かにつけて厳しく導いてくれましたが、友人とか、親愛の情を寄せてくれることはなかったそうです。彼が3人のリーダーを尊敬したのは、流儀が異なるものの、フォロワー(部下)の力を見抜き、「強みを十分に仕事に活かさせ、弱みを介入させない」ことを本能的に悟っていたからです。ただ、ドラッカーのリーダーシップ論は極めてシンプルで、「リーダーとは、単にフォロワーのいる人のことであり、そこでは仕事中心の関係に焦点を絞った発言のみをする。だから、リーダーに人気投票は必要ない」と言い切っています。リーダーは、フォロワーに対して、明日に向かって正しいことをさせる役割を担っているのですから、人気取りなどリーダーシップからみて程遠いものなのです。今の日本に必要な人材は、型破りなリーダーです。ソフトバンクにせよ、ファーストリテイリングにせよ、巨大企業に成長したため、大手志向の賢い人材しか集まらなくなっています。つまり、型破りなリーダーの素養を持つ人材が見当たらないのです。そんな将来の課題を理解している孫正義さんは、社内だけではなく、社外からも候補を募っています。将来起こる大変革に備え、新規戦略を提案できる稀代のリーダーは、既定戦略とは考え方自体が根底から異なるので、組織の人は「ヒーロー」か「ペテン師」かの見分けがつかないことがあります。皆さんは、稀代のリーダーでしょうか。この企業、この国を救うのは、誰あろう私たちです。
「守破離」を極めることが勝利の道だ
「一流」と呼ばれるシェフになるためには、師匠に弟子入りして包丁さばきの「いろは」を学ばなければなりません。そして、基本を習得した後は、「自分流」を確立できなければ料理人として大成しません。どんな仕事でも「守破離」のバランスが大切なのです。「守破離」とは、学び始めてから、独り立ちするまでの3つの成長段階を端的に表した言葉です。最初は教えを守り、次に自分なりの発展を試み、最後に型を離れて独自の世界を創り出していきます。自己流で人の意見を聞こうとしないのはもってのほかです。結局、我流は遠回りになります。また、一生懸命努力しているのになかなか上達しないのは、守破離の手順が間違っているからです。似て非なるものに「型なし」と「型破り」があります。無手勝流でやるのが「形なし」で型を完全に習得した上で、新しい創造のために、意図的に型を破っていくのが「型破り」です。「守」を完全にマスターしてから、次の「破」に進むという順序が大切なのです。確かに、伝統に固執せず、確信を続けるべきですが、大事なことは、先輩の考えを否定しないということです。先輩を否定することは、会社の歴史そのものを否定することにつながるからです。「先輩を否定することなく、変革を推進する」---。そんな意識を持つことが、勝利の道へ歩ませてくれます。イチローや松井秀喜選手が、米大リーグに活躍の場を求めたのも、日本のプロ野球界で「離」まで到達したけれど、また一から「守」を学びたいという思いがあったからでしょう。「このままでも、別にいいんじゃないの」という現状に満足しきったときが一番怖いのです。
表があれば裏がある。光が当たれば影ができる。
渥美清さんが演じた「車寅次郎」は、粋で世話好きで話好きでした。表向きはヤクザな渡世人ですが、困った人を放っておけない人物です。この寅次郎の性格には、二面性があります。マドンナや旅先で知り合った人たちから「寅さん」と慕われ、それなりに頼られています。しかし、故郷柴又では変わり者と敬遠され、本人もフーテンらしく振舞います。そこらあたりのアンバランスさが中高年に受けたのでしょう。どちらも同じ寅次郎ですが、真の寅次郎がどちらかは謎に包まれたままです。光があれば陰があります。太陽の庇護の元で生命活動を営んでいる限り、光と影の相互関係は必然です。大抵の人は、両親から「光」の部分だけを教育され成長してきました。「影」の部分を学ぶことは、成人後のあなた自信に任されたわけです。色々な対極性が存在する世の中で、白黒区別をつけるために、私たち人間は「二面性」や「善悪」という言葉を編み出しました。そして、「レッテル」を貼ることを覚えました。しかし、レッテルは何であれ、自身の視野を大きく狭めてしまいます。担当先の医師や薬剤師を自分の思惑通りの「型」にはめないと気が済まない人たちと思っていませんか。そして、「やりにくい相手」というレッテルを貼っていませんか。もちろん、彼らにも表と裏があります。なぜニコニコしている菩薩の顔をしてくれないのか自問自答するべきではないでしょうか。温室育ちの植物は弱いものです。太陽の光をたくさん浴びて、木陰で休むことを覚えましょう。
成功の必要条件は前向きな考え方を常に持ち続けることだ
両親も親戚もなく、化け物扱いされ、里の住人にも毛嫌いされて、いつも一人ぼっちだった「うずまきナルト」―――。人一倍努力しているにもかかわらず、通っている忍者アカデミーでもおちこぼれのレッテルを貼られてしまいます。それでも、いつも前向きに明るく振る舞います。ナルトの忍術は「風遁・螺旋丸」(ふうとん・らせんがん)だけではありません。おそらく、「3H」の奥義を極めていたのではないでしょうか。3Hとは、「ハオ、ホープ、ハウ」です。「ハオハオ(好!好!)」と問題を受け入れ、「自分はどうしたいか?」をはっきりさせ、「○×であればいいな」という希望(ホープ)を持ち、「どうしたら?」(ハウ)とその方法を考えて実践に移す一連の思考法です。自分の望みや目標がはっきりしていない場合、「どうしたい?」と自分に問いかけ、希望につなげます。そして、「○×であればいいな」と思うことで、心の中に希望を宿します。前向きな気持ちになったら次のステップは「ハウ」です。「どうしたら問題が解決できるのか?」「どうしたら見つかるのか?」「どうしたらハッピーになれるのか?」と考えることが前を向かせてくれます。この3Hの奥義を習得できれば、あなたもナルトです。
情けは人のためならず
父が教えてくれたことわざです。父は海上輸送会社の社長でした。ある日、部下の一人が「社長はホンマモンの経営者ですね」と言ったので、「何でそう思うねん?」と尋ねたそうです。すると彼は、エピソードを語り始めたのです。あるとき、従業員の若い女性がトラックにひかれ、ひどい重症を負います。父は、即座に大阪で一番腕のよい医者のいる大病院を手配し、入院させました。もちろん、会社がその費用を持ちました。彼女が全快したとき、両親がとても感謝し、父を招待したいと言ってきました。父は少し考えた末、逆に全快祝いとして、彼女とその両親を招待しました。そのとき、父はこう切り出しました。「ご両親もご安心ですな。でも、娘さんが回復して一番うれしいのは私でも、ご両親でもありまへん。誰だと思いはりますか?それは、娘さんをひいてしまったトラックの運転手と違いますか」。そう言われて、とても驚いたそうです。そして、「実はここに運転手を呼んでありますねん。会ってあげて下さい」と父は言い、彼を呼びました。彼は心から自分の非を認め、謝ったそうです。そして父は、「これがホンマの全快祝ですわ」と笑い飛ばしました。このエピソードが彼女の口から他の従業員へ伝わったのです。「情けは人のためならず」ということわざは「リスペクト」と似通っています。一見他人のために見えて、自分のためでもあるということです。自分がリスペクトされていると感じる状況と、されていないと感じる状況では、パフォーマンスに天と地の開きが出てきます。あなたが周りの人をリスペクトしないと、その人たちのパフォーマンスも上がりません。チームで仕事をしている以上、それはいずれ自分の首を絞めることになります。自分の作った「原因」が「結果」を生み、それに応じて報われるということを忘れないようにしたいものです。
何歳まで生きられるのか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。矢沢永吉という役を。
「ぼく自身は懸命に誠実にやってきた。矢沢の音楽を枯らさないよう様々な工夫もしてきたけれど、でも悲しい事件は起きた」―――。その事件が発覚したのは1998年のことです。オーストラリア事業を信頼する2人の部下に任せていたそうですが、裏切りに遭い30億円以上の借金を背負うことになります。発覚直後から、毎日毎日酒を飲み、もうダメだ、もうダメだと落ち込み続けたそうです。でも、1週間もそうやっていたらアホらしくなってきて、「これは映画だと思えばいい」と開き直ったそうです。人間は何度も生まれ変わると言われます。今回の神様によるキャスティングで、「矢沢永吉をやりなさい」と命じられたのだから、借金地獄も役のうち、一生懸命演じてみせますと決心します。この言葉には、魂が揺さぶられる2つのメッセージが隠れています。ひとつは、苦難にあった境遇を悲観するのではなく、「自分が自分らしく生きられる」ことに対する感謝で溢れていること。もう一つは、「自分が自分らしく生き続ける」という強い意志です。そうです、自分が自分という配役を与えられたのです。同じ配役は1人もいません。ここで考えて欲しいのですが、国家試験に合格してキャリアになったり、大会社の息子に生まれて後を継いだり、色々ありますが幸せとは別ということです、真の幸せとは、一生の配役を演じきることです。であるならば、自分が自分らしく生き、親からこの世に生を与えていただいた感謝を全力で表現しなければなりません。与えられた配役に不平を言わず生きたいものです。
当たり前のことを当たり前にやることが人間をつくる
6人の部下が杉下右京についていけず辞職したため、特命係は「人材の墓場」と呼ばれていました。そんな右京に“相棒”と呼べる亀山薫(初代相棒)と神戸尊(2代目相棒)が現れます。デレビドラマ『相棒』は、先の読めない深い事件を解決に導く間に繰り広げられる2人の濃い掛け合いがスパイスのように効いていました。水谷豊さんの相棒は必ず1人でした。そう言えば、寺脇さん、ミッチーときて、次の相棒は誰になるのでしょうか。続編が楽しみです。さて、皆さんには、当たり前のように支えてくれる相棒はいるでしょうか。
「当たり前」という言葉は、江戸時代に「当然」を「当前」と書き違えたことから生まれた言葉です。もともと「当前」は、共同労働の収穫を分配するときに1人あたりの受けるべき配当を意味していました。つまり、「1人前の配当」ということです。1人前の配当を受け取るのですから、1人前の仕事をしなければなりません。右京であれば、難事件を明快な推理で解決に導くことです。皆さんであれば、難攻不落の医師を攻略して処方数を増やすことです。
生活の中でも、人生の中でも、長時間を占める仕事の捉え方には2つのタイプがあります。1つ目は「理想の仕事につければ、自分も仕事に夢中になれるよ」と感じるタイプ、2つ目は「仕事を楽しめる人間になりたいな」と感じるタイプです。例えば、プロのサッカー選手や野球選手は子供の頃から夢を見るくらい好きな仕事でしょう。だけど、全ての選手が仕事を楽しんでいるかと言えばどうでしょう。ほとんどの選手は、子供の頃のような情熱が希薄になっているのではないでしょうか。みなさんの大好きな食べ物を想像してください。私は焼肉が好きですが、毎日、毎日食べ続けたら、たぶん1カ月くらいで焼肉を見るのもイヤになるはずです。日々の中で「好きなことを好きであり続ける大変さ」と糸井重里さんが語っていますが、仕事を考える上で非常に重要な視点です。仕事をすることは、当たり前です。その中には、「困難に感じる仕事」「イヤな仕事」「退屈な仕事」「劣等感にさいなまれる仕事」など楽しくない仕事も含まれますが、逃げるわけにはいきません。仕事を楽しむ工夫が人間を大きくしてくれます。
皆さん 夢は2つ以上持って下さい
夢をもてない人生は、つまらないと思いませんか。“イタすぎるセレブ”で知られるキアヌ・リーブスが、ニューヨークにある公園のベンチで、1人ぽつんとテイクアウトしたサンドウィッチを食べる光景がパパラッチされました。このあまりにも切ない写真は瞬く間にネット上を駆け巡り、Facebookが毎年6月15日を「キアヌを励ます日」に制定したほどです。そんなキアヌが『Ode to Happiness(幸福へ捧げる詩)』というタイトルの絵本を出版しました。涙でにじんでしまったような切ない絵に、キアヌの暗く沈んだ雰囲気と自己を哀れむ詩が添えられています。そうです。夢も希望もない絵本が、彼の今の姿なのです。
夢がないと、生きる張り合いも、将来の希望も持てません。私も大学生時代に夢を失くしていました。受験を突破することが目的になっていたからです。それでも、日本という国は許してくれます。普通に働けば、人並みの生活が保障されています。そういう意味では幸せなのでしょうが、夢や希望、ハングリー精神を失うことは大問題ではないでしょうか。漫画の神様、手塚治虫さんは59歳のとき、母校の池田小学校で子供たちに、この言葉を贈りました。夢が1つしかないと、その夢が破れたときに挫折してしまう、でも2つ以上夢があればそうならないと説いたのです。手塚さんは、漫画を描きながら猛勉強し、漫画家デビューから6年目の1952年に医師免許も取得しました。キアヌのように立ち止まっているのは、時間がもったいないです。手塚さんのように2つ以上の夢を持ち、前へ進みましょう。
賢人はよいことはすぐに実行するが、愚者はいつまでも先延ばしする
あなたは今日、「イエス」を何回言いましたか?賢人は誰でも努力次第でなれますが、日本の政治家や経済人はどうでようか。米国が、「グーグル」や「フェイスブック」のように新しい産業の顔を育て、採算が取れなくなった「モノを作る」産業から必死に脱出しようとしている間、日本は答えを先延ばしにしてきました。よく「失われた20年」と言いますが、5年前までは「失われた10年」と言われていました。この20年、日本が何をやってきたかというと、ひたすら「モノを作る」企業に金を注ぎ込んできたのです。日本は、ITに端を発したパラダイムシフトを拒絶してきたのです。「その理由はなんだろう」と考えてみると、どうも「モノ作り信仰」にマインドコントロールされているようです。米国の最大の強みは、「知の集積」です。米国の大学を見れば、一目瞭然です。昔、英国の哲学者、バートランド・ラッセル卿がさんざんバカにした米国の大学は、今では異様なくらい「知」を集積する場になっています。それに対して投資してきたのでしょうか。日本が今さら中国と競争する必要などどこにもありません。その先に、さらなる近代国家が存在するような幻想に取りつかれ、結果として向かうべき方向を見失っているのではないでしょうか。「明日になったらやろう」と言っている人は、いつまでたっても解決ができませんし、問題を大きくするばかりです。それに対して、あるがままの変化を受け入れ、常に正しい方向を目指して前進と成長に努める人がいます。お互いに賢者を目指しましょう。
憎しみの炎を消し、美しい考えに変える
「南無阿弥陀仏」という称名念仏にめぐり会う法然上人は、幼少時代に親を目の前で殺されます。復讐を誓う息子に死に際の父は、「恨んでやり返せば、必ず相手がやり返してくる。この因果応報の鎖をお前が断ち切るのだ」と言い残します。その言葉に従い、法然上人は10歳に満たない年齢で仏門に入ります。憎しみの炎は、憎しみでは消えません。憎むことを止めれば、その炎は消えるのです。必ず物事には、原因と縁と結果があります。他人ではなく、自分に原因を探すことができるからこそ、人間は、その因果の鎖を外すことができるのです。また、憎しみは、他のどんなことよりもエネルギーを消耗します。その消耗のひどさは、重労働をも病気をもはるかに凌ぎます。ですから、憎しみの炎が自分の体の中に入ってきたら、すぐさま消すことです。その代わりに「美しい考え」を入れましょう。美しい考えは宝石のように輝いたりしません。それは見た目の「綺麗さ」「華やかさ」ではありません。例えば、何か問題を起こした際は、即座に謝ることが大事です。「すいませんでした」ではなく、「申しわけございませんでした」と。また、誰かに自分の性格や成し遂げたことなどをほめられたとき、調子に乗って必要以上に自慢したり、自分が上だと考えたりしてしまうと、やはり美しくありません。自分1人の力ではなく、周りの人の助けや支えがあったからこそ成し遂げることができたというスタンスで、ほめられたときこそ感謝の気持ちを表すよう心がけましょう。そんな社員がいる強い企業は、すべてが美しいのです。
夢は見るものではなく、叶えるものだ。
「今になってみると、あの子に合った名前だと思います。違う名前だったら、全然違うイメージになっていたでしょうね」――――。澤穂希さんの自著『ほまれ~なでしこジャパン・エースのあゆみ~』の中で、母・満壽子(まいこ)さんは、こう語っています。「穂希」には、お米がいっぱい採れますようにという願いが込められています。彼女は、一度叶えた夢を再び叶えようとしています。「夢は見るものではなく、叶えるもの」をいうのが、キャプテン澤穂希さんの座右の銘です。でも、過去に誰かが「夢」と「叶える」を水と油のようなものと決め付けたためでしょうか、世の中に自分の夢を叶える人は、ほんの一握りしかいません。多くの人が夢は見るものだから、実現しようと真剣に思わないためでしょう。夢を見る人と夢を叶える人の決定的な違いは、「こうしたい!!」という強い思いがあるかないかです。何も考えずぼんやりしていて、突然、大金持ちになったり、大出世することなどあり得ないからです。夢を現実化するためには、意志の力が必要です。その上で、夢(理想)を現実(目標)に置き換えれば、達成率がグンと上がります。「自分の夢は・・・」から「自分の目標は・・・」へ置き換えるのです。あのイチローも、「○○歳までに××をする」という具体的な目標を掲げてトレーニングに励んでいます。確実な目標がイメージできれば、あとは目標に向かって走り出すだけです。成功した自分を想像すれば、モチベーションを最大限に高めることができます。
正しい原理原則に則った思考・行動がよい結果を生む
稲盛和夫さんは。京セラを創業して間もない頃、松下幸之助さんの講演を聴いたそうです。その講演のテーマは「ダム式経営」です。会社を経営する際、ダムを作ることで一定の水量が保たれるように、「蓄え」を持って事業を進めていかなければならないと説かれました。話のあとの質疑応答で、聴衆の一人が「どうすればそのような余裕のある経営ができるのでしょうか?」と尋ねます。すると、松下幸之助さんは、「その答えを自分も知りまへん。しかし、そのような余裕のある経営が必要だと思わな、あきまへんな」と答えたそうです。聴衆の多くは、この答えに失笑しましたが、稲盛和夫さんだけが、話の本質を理解し、衝撃を受けたそうです。人は、想像以上に常識や経験というものに縛られていることに気づいたのです。稲盛和夫さんは、「常に原理原則を基準として判断し、「行動しなければならない。常識や経験だけでは、新しいことに遭遇した場合、解決ができずにうろたえることになるからだ」と述べています。原理原則に基づいて行動していれば、思考や行動にブレが起きません。本質を見極める「素直な心」と、必ず物事を成し遂げたいという「熱意」を持てば、自分の予想を上回る偉業を遂げることができるはずです。
自分は毎日ツイている!
ツイている人は、「自分にはツキがある」と確信しています。ツイていない人は、「自分にはツキがある」と確信できません。MRやMSの中には、地道な努力を忘れない人が少なくありません。「営業は足で稼ぐものだ」「営業は断られてからが勝負だ」「営業トークには自信がある」と思い込み、キーマン以外に説得を続けます。その結果、「なぜ、こんなに努力しているのに売れないんだ!」などと口走り、「自分はツイていない」ことを刷り込んでいきます。こうなってしまうと、せっかく向こうからやってきたツキさえ逃してしまいます。でも、ご安心ください。ツキは自分でコントロールできるのです。方法はとても簡単です。「自分は最高にツイている」と思うだけです。世の中の幸運の持ち主と言われる人たちは、「自分はツイている」と思い込んでいます。とれは特別ツイているわけではなく、出来事を自分のよいように捕らえてツキを呼び込んでいるだけなのです。朝日を見て「いい朝だぁ~」、満員電車に揺られて「活気があってよい!」渋滞に遭って「よい休憩時間だ~」などと全てをプラスに捕らえる思考が身についているのです。ツキを呼ぶためにも、疑いなく潜在意識に「自分はツイている!」と刷り込みましょう。潜在意識は驚くほど単純で、少しでも「疑い」があれば、すぐに「嘘」と見抜きます。疑うことなく「自分は最高にツイている!」と思いましょう。そうすれば、そのときから最高にツイている自分がいるはずです。
情熱は未来を創る
よくあの人は覇気があるとか、覇気がないという言い方をします。でも、情熱がある、情熱がないと言い換えるほうが適切です。自分の心に情熱の炎のない人は、人の心に火をつけることはできません。情熱とは、生きるパワーの源です。情熱が、未来を創っていくのです。情熱を持って生きるためには、あなたが一番したいこと、あなたが一番会いたい人、あなたが一番望んでいることを想像することです。それは、現実になるとかならないとかそういったことを抜きにして、ただ純粋にこうしたいと思うことを心に抱き続けるのです。人は「自分の好きなこと」をやっているとき、自然とその世界に没入し、ひたむきに努力します。ですから、よい成果もついてきます。「本当はやりたくないこと」に情熱を傾け、大きな成果を上げるのは、まず無理なのです。そのためには、自分が心底望むものは何かを明らかにすることです。そして、人生で何かを成就するには、どれぐらい強く欲しているかが問題になります。WillPower(意志の力)は、WantPower(欲求の力)によって決まります。是が非でも手に入れたいと思えば、意思の力は後からついてくるものです。あなたの中の情熱は、ものすごいパワーで、あなたの疲れた心を癒し、生きる力を与えてくれることでしょう。
自分の中に奇跡を起こせば、全ては変わる!
「夢なんてどうせかないっこない」――。そんな言葉が口癖になっていないでしょうか。不幸な出来事が起こったとき、苦しむことによって何かを学ぶことができます。しかし、苦しむことだけに気を取られていると、奇跡の可能性を閉ざしてしまいます。苦しみからの脱出方法は、「目的をもって生きる」ことです。地球のすべてのものには目的があります。自分の真の目的にしたがって生きることで、私たちは地球の目的とともに歩み、人生と戦うことなく、奇跡のように望みのものを生み出すことができます。自分が「目的(夢)に向かっている」ということは、仕事をしているときに時間を忘れているかどうか、楽しくてしかたないかどうかでわかります。「人類の偉大で輝かしい傑作は、目的をもって生きること」です。あなたは、ただ生きているだけでしょうか、それとも傑作をつくっているでしょうか。やろうと思ったとき、それは自分の中の「神の声」が自分にやらせたということです。
偉大な魂には“意志”が宿り、ひ弱な心には“願望”が宿る
「お前の炎の魂でコンピューター超人の氷の精神を溶かしてしまうのだ」――。試合当初から聞こえ続けていた謎の声の正体は、なんとラーメンマンでした。そして、キン肉マンの炎の魂に「勝利」という意志が宿り、ウォーズマンをキン肉バスターで破ります。
魂は、変わりにくいので、普段はなかなか気付きません。かえって、周囲の人が気付いていたりします。壁にぶつかって、判断に困ったときのように、よほどのことがあると、ふと気付くことがあります。魂に気がつくと、迷いが消えて、自分らしい動きができるようになります。「自分の人生に責任がとれない人」は、「自分から進んで行動できない人」ではないでしょうか。自分の心に秘められた偉大な魂は、強い意志の表われであり、意志を強く持てない人は、「こうなればいいな」という願望が先にたってしまいます。ただ、成功を願うだけでは、成功できません。自分の責任で行動しなければなりません。偉大な魂でひ弱な心を溶かして前進しましょう。
新しく出て行くものが、無謀をやらないで一体何が変わるだろう
日本はこれから未曾有の変化を経験するでしょう。とりわけ、医療・医薬品業界は、政府の「社会保障・税一体改革成案」に描かれた2025年の医療の姿が実現するまで激動を余儀なくされることでしょう。景色は全く変化しましたが、変わらないのは、昨日の常識を今日の非常識とし、昨日の非常識を今日の常識とすることです。日本を何とかしたいという強い渇き、そして石に閉じ込められた女神を救い出したいというロダンの衝動が必要です。「自己革新」とは、自らの過去の価値観から脱却し、激変する環境との出逢いを通して、主体性をもって、自らを能動的に変えていくことです。つまり、自分の中に新たな自己の可能性を見出して、自己成長していくことを意味しています。そして、組織が時代の環境に適応できるよう、抜本的な革新ができるかどうかは、その組織を構成するメンバー全員の自己革新に対する意欲にかかっています。人間は、油断すると、すぐにルーチンワークに埋没してしまいます。恐らく、そのほうが自分にとって楽だからです。しかし、それでは顧客の感動は得られません。感動を得るためには、「昨日と同じ仕事をしない」という気概とチャレンジ性が必要です。今年一年がんばっていきましょう。
人生は感謝して生きるに値する
謝という漢字は、「言を射る」ことで精神の緊張を緩和する行為を象徴しています。つまり、「感謝」という言葉は、謝を感じることとも受け取れます。積極的な感謝には、変容を引き起こすエネルギーが備わっています。それはよい人生を偉大な人生に、トラブル続きの人生を喜ばしい人生に、苦闘を成功へ前進させます。では、どんな感謝が人生を変えるのでしょうか。何事も教えがあることに気づき、感謝するという習慣を身につけることです。同じ体験をしても、幸せと感じる人と不幸せと感じる人がいます。すべて自分の心の受け止め方の違いです。心が豊かに成長していれば、どんなこともプラス思考で受け止めることができます。スリムドカンのCMで知られる「銀座まるかん」創業者の斎藤一人さんは、「天国言葉」として、「ツイてる」「うれしい」「たのしい」「しあわせ」「ありがとう」「感謝します」という6つの言葉を紹介していますが、6つの言葉のうち2つが感謝に由来した言葉です。私たちも、心からの「ありがとう」を習慣にするだけで、いとも簡単に幸せのスパイラルに転換することができるのです。もうすぐクリスマスです。街中は、とてもきれいなイルミネーションで輝いています。そのきれいな分だけ、いったいどれだけの人が感謝の気持ちで過ごされているのでしょうか。
情熱炎をたぎらせろ
齊藤泉さんは、新幹線の車内アテンダントで日本一の売上を誇る方です。そして、なんとアルバイトです。医薬品業界に置き換えれば、日本一の売上を上げる営業マンがアルバイトなんて考えられないことです。400席しかない車内で、187個もお弁当を売ってしまうのです。通常6~7万円の売上なのに、齊藤さんは26万円にもなるそうです。それは、齊藤さんの仕事のスタンスに起因しています。彼女の情熱の条件は、「自分にウソをつかない」「気持ちを行動に変える」という2点です。人生の長い時間を使う仕事の場面で、「そこそこでよい」「自分は○×部だから」「自分はリーダーじゃないから」「それは会社が決めること」などという感覚の人は仕事で結果も出なければ、人生を本当に楽しむことができません。自分が信じた道に向かって、一所懸命に取り組むことができるあなた。そんなあなたはまさに現代の坂本龍馬です。周りからの意見は参考程度にとどめ、独自に工夫をこらしながら物事にチャレンジしていくやり方に、最初は周りから共感を得ることが難しいかもしれません。しかし、結果がついてくることで、やがては一目置かれる存在へ変わっていきます。理性とは、そればかりが働くとあなたを封じ込めてしまう抑制の力です。情熱とは、放っておくと自らも焼きつくしてしまう炎です。理性を道案内にして、情熱を歩ませましょう。
可能性とは“自分の最高の姿”を描き、その目標に挑戦することで引き出される
人が自分の限界について考えながら何かに取り組むとき、二つの思考が働きます。ひとつは自分の限界を超えるように取り組み、成長していくという考え方です。もうひとつは自分の限界を知り、無理をしないバランスのとれた生き方をしていくという考え方です。自分の限界に挑戦する人は、多くありません。なぜなら、自分の「最高の姿」が描けないからです。ゴールを設定するということは、最高の自分になると決めることです。また、夢は誰かと比較して優劣を決めるものではありません。人は自分の言葉で思考を形成し、それが現実になります。「できない」を当然のように受け入れ、それを言葉にしている限り、できないままです。「忙しい」と言い続けている限り、「忙しい」ままです。自分の限界を知ることと、自分で限界を作ってしまうこととは違います。人としての可能性、潜在能力があるにもかかわらず、「どうせ私にはムリですから」と自ら限界を作ってしまう場合、体調を大きく崩すことはなくても、自らが成長していくときに体感できるワクワク感がありません。そうすると、どこか不完全燃焼のような毎日になってしまいます。そうならないよう、自分の調子をみながら、限界突破に挑戦することです。ダイナミックな生き方をしてみましょう。
自分の能力に自信を持つ人だけが、能力を存分に発揮できる
女性がお金と恋を手に入れるためには、容姿に対する絶対的な自信が必要です。一方、男性がお金と恋を手に入れるためには、能力への絶対的な自信が必要です。プロ野球のピッチャーは、プロですからストライクを投げようと思えば、100球投げて、100球ストライクになります。ただ違うのは、打者の苦手なコース、苦手な速さ、苦手な球種がそのときに投げられるかどうかです。自信がなければ、「打たれてしまうのではないか」と思う気持ちがどうしても逃げの投球になってしまいます。それを乗り切るためには、人一倍の努力と、心の鍛錬が必要です。「打つなら打ってみろ」という自分に対する自信が大切なのです。
能力という言葉には、「技術」と「経験」と「自信」が含まれていると思います。能力を高めるためには、よい技術を知り、それを身につける努力をしなければなりません。何でもはじめはうまくいきませんが、経験を積むことで慣れていき、熟達していくのだと思います。そして、自分の能力に自信を持つためには、自分で自分を裏切らない実績を作ることです。それは、自分で決心したことを必ず実行するようにすればよいということです。そうすれば、自己を信頼できるようになり、自己信頼の自信が持てることになります。
蛇口をひねらなければ水は流れ始めない
この世には、2種類の人間がいます。「何かを成し遂げようと行動を起こす人間」、そして「ミスを極力避けようと行動を避ける人間」です。まずはやってみないと何も始まりません。ヒット性の三遊間のゴロでも横っ跳びを繰り返し、何度もチャレンジして初めてタイミングがつかめて捕れるようになるのではないでしょうか。魂に情熱という火が灯れば、不可能という文字はなくなります。何かを成し遂げるには、ミッション(使命)、パッション(情熱)、アクション(行動)が欠かせません。意志の強さは、欲求の強さによって決まります。是が非でも手に入れたいと思えば、意志の力は後からついてきます。「何が何でも」という強い気持ちがあってこそ準備、努力、行動に現れるのではないでしょうか。行動を起こさなければ何も生まれません。頭の中であれこれ考えていても、それを行動に移さなければ、結果は出ません。行動があれば、その行動に伴い結果が生まれます。さぁ、行動と言う名の蛇口をひねりましょう。
変化の最初の段階は気づくことだ。次の段階は受け入れることだ。
21世紀初頭の日本は、先進国の中でも恵まれていたと思います。世界第3位の経済力を持ちながら、犯罪率も低く、国土は水産資源や淡水に富んでいます。ただ、刺激に乏しく、社会学の分野では現代日本に生きることを「終わりなき日常」と表現され、緩慢に衰退して行くことが予想されていました。そんなときに起こったのが東日本大震災でした。いうまでもなく、誰しもが変化に気づき、復興を誓い合いました。もちろん、気づきにくい変化もあります。価値観の変化です。物質的に豊かな社会の到来、余暇時間の増大、少子化と高齢化、「公」重視から「私」重視への移り変わり――。もはや消費が豊かさの象徴である時代は終わりつつあり、真の豊かさとは何かを問い直す時代がきています。私たちは、その変化の中心人物なのです。それを感じている人と感じていない人がいるのかもしれません。今までの成功体験は通じません。自身が変化することを迫られていることに気づかなければなりません。「世の中、常ならず」という言葉があります。変化があってこそ、当たり前なのです。変化を受け入れる姿勢を持ちましょう。思いどおりにいかないことに怒るのではなく、「まあ、こういうこともあるか」と笑い、受け入れてしまうのです。気楽に気軽に考える人は、心がやわらかくなります。
人は困難を克服することで幸福になれる
初めて自動車の運転や自転車に乗った日のことを覚えているでしょうか。その際、あなたは、うまくできないことを前もってわかっていたはずです。言うまでもなく、初期の「下手くそ現象」は、あなたがトライするすべてのことに当てはまります。ところが、大人になると「失敗したくない」と思うため、下手なことは初めからやりたがりません。そのため、大人は子供たちのような速さでは上達できないのです。仕事には困難がつきもので、困難のない仕事を仕事といいません。「失敗したくない」という気持ちが、決まりきった定型処理に追いやります。困難は多様な形で現れます。それに一つ一つ対応し、克服することが、とりもなおさず、仕事をしているということなのです。一つの仕事をやる場合、初めから終わりまで順調にいくというのは全く幸運に過ぎません、多くは途中で躓(つまず)きます。その躓きや、失敗、困難を一つずつ乗り越えていくことが仕事です。人は困難な時期があるからこそ、より大きな喜びを感じられるのです。困難こそが、人生におけるすべての喜びの源です。
賢人がすぐに実行することを、愚か者はいつまでも先延ばしする
昔の人は、よく「虫の知らせ」と言いました。つまり、何となく心に感じるものがあるとか、予感がするということでしょう。これは一見、非科学的なことのように思えるかもしれませんが、実はこれが生活を営んでいく上で最も重要なことなのです。日常生活を振り返ってみると、このことがよく分かるでしょう。失敗した例を振り返ると、必ず事前に、何らかの兆候が見当たります。それが、「しまった。あのときやっておけばよかった」ということになるのです。せっかく気付いていたのに放っておいたか、何らかの理由でアンテナの感度が落ちていたからです。人が何かに「気付いた」ということは、そのことをするに当たって状態やタイミングがちょうどよいようになっているのです。ですから、「気付いたことはすぐ実行する」ということが非常に大切です。
企業活動が安定して継続し、満足すべき収益も上がる状態は組織にとって心地よいものです。昨日した事を今日も実行し、明日も繰り返せばよいからです。何か学ぶ必要もありませんし、リスクもありません。業績が好調なときは守りに入ってしまい現状維持志向になりやすいのです。それでは業績が悪化したときはどうでしょうか。何か不具合や不吉な前兆が起こったとしても積極的に対策を取るのではなく、見なかったことにして水平線の向こうに押しやり決断を先送りしてしまうことが多いのです。これではタイタニック号のように、約束された未来に向かって突き進み、氷山に衝突してしまいます。チャンスや危機に気づき、速やかに行動に移さなければなりません。
人生すべてに通じる、やる気、根気、熱気の3気を大切にしよう
気がつく言葉は、たくさんあります。気が生命力、活動力の根源であり、人の身体的、精神的な諸機能も全て気から生じるものと中国の哲学で考えられていたからでしょう。スマートに仕事をこなすことも必要ですが、泥臭い部分も思い出してみてはいかがでしょうか。「やる気」とは、どこから沸いてくるものなのでしょうか。アントニオ猪木さんの決め台詞、「元気があれば何でもできる!」という言葉どおり、体力と気力が充実しているときは、何に対しても意欲的に取り組むことができます。やる気を出すには、まず体が健康であることが第一です。やる気さえ起きれば、いまの何倍もの力を発揮することができます。その動機付けになるのが目標達成という名の魅力ですが、その魅力に対してあきらめずに挑戦することです。それが「根気」につながります。この世で根気ほど万能なものはありません。才能があっても思い通りの人生を送れない人が数多くいます。根気は才能を超えるのです。やがて目標に近づいてくると、「熱気」を帯びてきます。やる気、根気、熱気はみな一本の線でつながっているのです。人間にとって大切なことは、目標設定力と達成意欲です。それが人間を大きくしてくれます。
神は乗り越えられる試練しか与えない
日曜劇場「JIN―仁」の完結編が終わってしまいました。その中で、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が何度も出てきました。原作にない言葉を脚本の森下佳子さんが加えたようです。多くの人は、この言葉を「あきらめなければ必ず目的を達成できる」という意味で解釈したことでしょう。神が与える試練というのは、「人生を送っていく上でぶつかる苦難によって精神的に鍛えること」ですから、その苦難を拒絶しないで、向き合って受け容れなさいということです。試練を乗り越えるとは、その苦難を受け容れることなのです。イギリスの歴史家アーノルド・J・トインビー(1889年~1975年)は、「人間誰しも才能を持っている、その才能が花開くかどうかは、試練を乗り越えた数によって決まる」という名言を遺しています。例えば、米大リーグに所属する松坂大輔さんは、腕の手術を受けることが決まりました。ゴルフ界の石川遼さんは、2回連続予選落ちしました。これらも試練です。その試練を乗り越えるたびに人間の器が大きくなっていくのです。トインビーは、試練を乗り越えることによって才能が磨かれ、鋭く育まれると述べています。自分の才能を伸ばすために、試練が定期的にやってくるのです。それを人生のチャンスと考えれば、乗り越えられます。
自分から「やらせてください」という積極性が能力を伸ばす
求人欄を眺めていたら、『こんな人材を求めています』と題して、「ぜひやらせてくださいという人」「やってみせますという人」が条件に挙げられていました。会社では、勇気を出さなければならないことの連続です。例えば、会議やミーティングの場で反対意見を述べる勇気、苦手な上司に自分の失敗を報告に行く勇気、吉と出るか凶と出るか分からないプロジェクトに社運を賭ける勇気などです。「やってみないと分からない」といいますが、何事も行動を起こさないと結果は表に出てきません。行動に結果がついてくるのです。時には、プレッシャーに押しつぶされそうになることもあるでしょう。しかし、勇気を出して一歩前へ踏み出してみると、後は意外とすんなり先へ進んでいけるものです。会社という組織の中には、本当に色んなタイプの上司がいます。「何かあったら俺がフォローするからやってみろよ」と背中を押してくれる上司ばかりとは限りません。逆に、「僕にやらせてください」と言える勇気を持った部下は、保守的だった上司に「よし、これに賭けてみるか」と挑戦する勇気を与えるかもしれません。自分の能力を伸ばす秘訣は新しいことに挑戦していくことです。「やらせてください」は、自分の能力を伸ばすチャンスなのです。
正しい“原理原則”に則った行動が成功に導く
仕事をする上で最も大切なことは、原理原則を軸に、それを守り続けることです。料理人だったら、美味しさを追求することですし、アニメ作家だったら、動く絵で伝えられる面白さを追求することです。自分の仕事の原理原則は何だろうかと常に意識していないと、単なる「仕事が好きな人」で終わってしまいます。原理原則がぶれなければ、時代を超えて支持されるものを生み出すことができるのです。原理原則とは、人間社会の道徳、倫理と言われるものを基準に、人として正しいことを正しいままに貫く認識や行動の基本法則です。とかく陥りがちですが、常識とか慣例に流された判断や行動をとってはいけません。常識や経験だけでは、新しいことに遭遇した場合、どうしても解決がつかず、そのたびにうろたえることになるからです。焼肉チェーンが提供した生肉のユッケから死亡例が発生した事件も、企業側が顧客第一に考え、安全で美味しいという原理原則に従った行動を貫いていれば、発生しなかったことでしょう。このように原理原則から逸脱した行為は、問題を引き起こすことになるのです。新しい分野を切り拓き、発展していくのは、豊富な経験を持っているからではありません。常識を備えているからでもありません。人間としての本質を見据え、原理原則に基づいた判断をしているからです。
心の松明に火を灯せ
あなたの心に灯った明かりを、小さくてもいいですから「松明(たいまつ)」にしましょう。風が吹いても消えない松明です。今回の災害は、大変長期にわたる支援が必要です。あなたの心の灯火を松明にして、どんな風が吹いても消えないようにしてください。それが、被災された方々への支援となります。日本人を例えると足湯に浸かっていたみたいに気持ちのよい時間がずっと続いていました。日本人気質を出さなくても、結束しなくてもよい時間が流れていました。しかし、「いざ鎌倉!」というときには、お互いに助け合う日本人気質がちゃんと目覚めることが分かりました。また、そのことが、世界中から評価されています。日本人が脈々と先達から受け継いだ日本人の考え方と生き方がDNAに刻み込まれているのでしょう。人間として生まれてきた以上、社会に役立つことを基本に生きていかなければなりません。そのためにも、個々の人間が「心の松明に火を灯し続けること」が求められます。
負けたと思った時点で負けが決まる、駄目だと思った時点で駄目が決まる
人ですから、「負けかな」とか、「駄目かな」と思うこともあります。しかし、負けとか駄目だと思ったり、考えたりすると、そこで思考が停止してしまいます。先に進まないのです。勝ちたいと思っても、勝ちたいと思わないのでは勝てる道理がありません。まずは勝利を強く信じ、そのために努力することです。この世には二種類の人間がいます。「何かを成し遂げようと行動を起こす人間」と「ミスを極力避けようと行動を避ける人間」です。まず、やってみないと何も動きません。何かを成し遂げるためには、ミッション(使命)、パッション(情熱)、アクション(行動)が欠かせません。意志の強さは、欲求の強さによって決まります。サッカーリーグのプロ化を夢見た川淵三郎さんは、触るとヤケドしそうなほど熱い情熱を持っていました。反対派が「時期尚早」「前例がない」と反対する中、「時期尚早と言う人間は100年経っても時期尚早と言う。前例がないと言う人間は200年経っても前例がないと言う。自らの仕事に誇りと責任をもてない人間は、次から次へとできない理由ばかり探し出してくる。仕事というものは、最初はできなくて当たり前なんだ。できないことにチャレンジして、できるようにしてみせることを仕事と言うんだ」と説き伏せました。川淵さんが「負けかな」と思ったら、そこで終わりだったことでしょう。「何が何でも」という強い気持ちがあってこそ準備、努力、行動に現れるのではないでしょうか。何事も、あきらめないことが大切です。
人生マラソンのゴールを決めよう
マラソンランナーになったつもりで考えてみましょう。42.195㎞を完走するのは大変なことです。この距離を2時間10分前後のタイムで走るためには、100mを平均18秒前後で走らなければなりません。とてつもないスピードです。メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した君原選手は、「生きるということはマラソンと同じだ」と述べています。マラソンは、楽しいときもあれば、苦しいときもあります。山あり谷あり、ライバルと競争しながらゴールを目指して走っていく、人生そのものではないでしょうか。「走っていく」のも「生きていく」のも、一カ所にはとどまっていません。どんどん前に進んでいきます。走っていると見える景色も変わります。人生も、昨日より今日、今日より明日の景色が異なります。人は、人生のスタートを切った瞬間から、絶えず走ることを強いられます。マラソンで、ゴールのテープを切ったとき、「楽しい42.195㎞でした」という言葉が出るように、人生マラソンでも「楽しい仕事でした」と目標を次々にクリアしていけば、がんばって生きることができるのではないでしょうか。
逆境にあってこそ“人”は磨かれるまたその人の真価が問われる
逆境とは、自分の甘い予想を覆し、とてつもなく厳しい状況に追い詰められることを言います。その逆境に遭遇したとき、人は深く落ち込んでしまうでしょう。なかなか立ち直れず、もがき苦しむこともあるでしょう。ただ、逆境の中には、それ相応か、それ以上の大きな利益の種子が含まれています。なかなか前向きには考えられないものですが、「神様が自分に一回り大きくなれと与えてくれた試練」と思えばどうでしょうか。困難な状況に身をおく人ほど、「これはまさに成長できるチャンスなのだ」と心の底から思って立ち向かうと、必ずよい結果が得られるはずです。そして、逆境が多い人ほど成長できるチャンスが多く与えられているのです。たくさんの逆境という贈り物に感謝するべきです。今起きている逆境という名の壁を乗り越えたとき、人は成長できるのです。人間力が高められ、また新たな挑戦をする意欲が芽生え、さらなる成長につながっていきます。
人生はあくまでも真剣勝負
剣道で、面に小手、胴を付けて竹刀で試合をしているときは、いくら真剣にやっているようでも、心にスキができます。打たれても死なないし、ケガもしないからです。しかし、木刀での試合となれば、緊張感が高まります。打たれれば気絶もするし、ケガもするからです。まして真剣勝負ともなれば、一太刀が生命にかかわります。「勝つこともあれば、負けることもある」などとは言っていられないのです。勝つか負けるかどちらか一つです。「真剣になる」とは、こんな姿を指しています。企業に例えるなら、真剣勝負で負ければ倒産します。人対人の真剣勝負であれば、序列ができることになります。当然、賞金(報酬)にも大きな差ができます。神様からいただいた、たった1度の人生は真剣勝負で臨まなければなりません。「長い人生ときには失敗することもある」などと呑気に構えていられません。これは失敗したときの慰めの言葉に過ぎません。最初からこんな気構えで事に当たるのは間違いです。真剣になるかならないか、その度合いによってその人の人生は決まります。
成功の本質は「当たり前の徹底」にある
社会に出て、伸びる人と伸びない人の違いは、仕事を当たり前と受け止める(楽しい)か、受け止められないか(面倒くさい)の違いではないでしょうか。仕事を当たり前と受け止めている人は、何度失敗しても挑戦します。周囲から見ると、どう考えても理解できません。でも、本人は、絶対にできると信じているので挑戦して当たり前なのです。小宮一慶という経営コンサルタントは、まだまだ自分に磨きをかけなければということで、13年間トイレ掃除を当たり前のこととしてバカになってちゃんとやってきたそうです。また、トヨタの業務改善の原点は、「当たり前のことを当たり前にする」で、当たり前にすることが行なわれていなければ、改善して当たり前にできるようにすることを繰り返してきました。このように当たり前のことが当たり前にできて、はじめて成功することができます。しかし、この当たり前のことを当たり前にするということが意外に難しいのです。例えば、お客さまを大切にすることなど当たり前のことですが、本当にお客さまを大切にすることに徹した企業はいったいどれくらい存在するでしょうか。本来であれば、どれくらい売れたかは、あくまで結果であってその結果が導き出された当たり前を検証する必要があるのではないでしょうか。
会社の業績に貢献するのは、そこで働く者の責任である
「組織に所属していない人はいない」と言いきれるほど、人は何らかの組織に所属しています。しかし、改めて考えると、組織とはいったい何なのでしょうか。人は何か困ったとき、共同してその困難に立ち向かい、乗り越えていきます。一人で重いものを運べないときには、2人、3人と集まって物を運ぼうとします。毛利元就の「3本の矢」のように、1人では簡単に目的が達成できなくても、複数の人が共同で行えば目的が達成される可能性は非常に高くなるでしょう。マネジメントの父と称されたピーター・H・ドラッカーは、「利益は企業や事業の目的ではなく条件である」と述べています。言い換えれば、会社という組織においては、利益に貢献することが、そこで働く者の条件ということになります。組織には、「3面等価の原則」というものがあります。1辺は権限、他の1辺は義務、残りの1辺は責任です。この三辺が等しく正三角形の形をしていることが理想です。もちろん、責任の度合いが大きくなるにつれ、権限も大きくなり、義務もまた大きくなります。この場合の義務とは、権限を駆使して、責任を果たすことで、利益を生むことに他なりません。
失敗は何にでもつきもんやで、恐れてては何もできまへん。
これは吉本興業の生みの親でもある吉本せいさんの言葉です。いまやお笑いと言えば、吉本興業を抜きに語れません。その吉本興業は、芸人を連れたお大名遊びがこうじて事業に失敗した亭主を立ちなおさせるために言った、せいさんの一言から始まります。「それやったら、いっそのこと毎日芸人さんと一緒にいて商売になる寄席しはったらどうだす」――。吉本の芸人さんはギャラのピンハネをバネに売れっ子を目指すそうですが、失敗も大きなバネになります。失敗のまま何もしなければ何も起りませんが、指でつまんでパッと放したらダンスを楽しんでいるかのように弾みます。失敗をすると、悔しく感じます。再び失敗をしたくないので、それを回避するか、新たな知識を得ようとするか、いずれかの行動をとります。新たな知識を得ようと思うことが「失敗を受け入れる素地」であり、バネが弾むように、人の知識を上昇させます。そうです。失敗は、可能性を気づかせてくれるのです。
水道の蛇口をひねらないと、水は流れてこない
成果を得るためには様々なハードルをクリアしなければなりません。それは決して高いハードルではありませんが、必ず飛び越えることが要求されます。手にする成果は、制約条件(ボトルネック)で決定付けられます。ボトルネックとは、「水道の蛇口」です。蛇口をひねらない限り水は出てきません。成果を上げるためには、様々な能力を使うでしょうが、その中で最も低い能力によってアウトプットが規定されてしまうのです。ですから、私たちは、何がボトルネックなのか、真剣に考えなければなりません。一般的なボトルネックは、ターゲットの選択ミス、そして知識体系の欠如と低い自己イメージです。あなたのボトルネックは何でしょうか?適切にボトルネックをつかみ、適切に行動できれば、蛇口から水が溢れ出すように大きな成果が得られるはずです。
脚下照顧
禅寺の玄関には、例外なく掲げられています。この「脚下照顧」は入門者に最初に教える作法です。「履物を揃える」という作法ですが、その意味は「足元を照らし我を顧みる」ことです。「履物を揃える」というのは、あくまでも一つの例で、履物さえ揃えればよいということではありません。つまり、「自分の立ち居振舞いを正す」ということです。それは、相手への配慮、思いやりを示すことで、そうやって相手へ敬意を払い、礼節ある行動をお互いにすることで、世の中のいがみ合いや余計な摩擦を少なくしていくという側面があります。また、常に他人の行いや言動に対して心を乱すことなく、自分自身を見つめ直す心を持つという意味合いも込められています。自分の足元を顧みることは、自分に対する反省であり、反省からさらによい方向に自分自身を導くことに結びつきます。
議論したら必ず決める。決めたことは必ず実行する。
議論とは、みんなで質問の答を考えていくプロセスです。それは参加者による共同作業であり、世間一般に思われている対立のイメージとは全く別のものです。そしてそれは「人の意見を聞いて理解する」という基本原理からきているものです。議論はしても結論を先送りする、決めても実行しないのであれば、議論の価値がなく、時間のムダです。「結論に対して責任を持つ」ということは、評価を上げるような行動をしなければならない、ということです。例えそれが自分の利益と相反していてもです。議論したら必ず決める、決めたら必ず実行に移すといった風土を組織内に作り上げておかないと前に進みません。まずあなたがきっかけを作るために自分が一番問題に思う質問を投げかけてみましょう。そしてそれに対して誰かが意見を返してきます。すると皆が「待っていました」とばかりにその意見を理解しようとします。こうして有意義な議論が始まるのです。あとは実行に移すだけです。
成功するところまで続ければ、それは成功になる
例えば、仕事がすっかり嫌になって「辞めてしまいたい」と思ったとき、あなたには引き止めてくれる上司がいますか?松下幸之助さんは、そんな期待に応えてくれる名経営者の一人でした。松下電器を創業し、一代で世界的な企業に育て上げた背景には、並外れた苦労があったはずです。ですから、他人の苦労や悩みに対して共感することもできますし、的確なアドバイスもできるのです。松下幸之助さんの言葉は、続けることの難しさを言い表しています。私の職場でも入社して一年足らずで退職する人がかなりいます。そういう光景をみると、人間がひとつのことを長く続けるのはとても難しいことなんだなぁと思います。ただ、現状で嫌なことは新しい世界に行っても形を変えて自分に降り掛かってくるでしょう。ですから、現状の世界がよくなるまで続けることが大切なのです。
目標と情熱が一致したとき「凡人」を「非凡人」に変える
戦国時代――。それは自分の力しか信じられなかった時代です。時には親兄弟妻子であろうとも敵味方に分かれて争ったこの時代には、非凡な武将たちによって数多くのドラマが演じられました。信長、秀吉、家康は、非凡な才能を持った三人ですが、やっぱり一歩抜きに出ているのは信長でしょう。歴史に「if」はありませんが、もし信長が本能寺で死ぬことがなければ、おそらく秀吉は一生信長の家臣で終ったでしょうし、家康が天下を取ることも永久になかったでしょう。凡を非凡に変えるのは情熱ですが、その情熱を生み出す源は強烈な目標意識です。信長は「天下布武」のもと、現状を否定しなければ未来の進歩はないと考えていたのでしょう。「社会性」というものは妥協ですから、「非凡」とは相容れないところがあります。その判らない奴が、閉塞したこの時代には求められているのです。人は、目標に到達したいと思う強い熱意を持ち続ければ、非凡に変わります。
それぞれの能力を活かす見せ場作りが総合力を引き上げる
一般的に能力が高くなると幸せになれると言われています。それでは、能力とは一体どのようなものなのでしょうか。私たちに求められる能力とは、①過去のことを覚えておく記憶力、②自分の現在を決める判断力、③よりよい未来を描く独創力です。つまり、自ら考えて課題を発見し、独創力を発揮して、主体的に業務に取り組む力、つまり「仕事力」が問われているのです。自分の持つ能力を信じ、それを全開にして、成功体験を積み上げていくことが始まりです。また、チームリーダーの方には、「サイボーグ009」を描いた石ノ森章太郎さんになり切ることが求められます。「サイボーグ009」では、能力も弱点もバラバラな9人が、それぞれ補完しあって敵に立ち向かいます。注目は720「009」に集まるかもしれませんが、「001」から「008」にも「見せ場」が用意されています。組織のモチベーションを保ち、総合力を引き上げるためには、こんな演出も欠かせません。
目的と方向性が決まれば、あとは努力の継続が目標に向かわせる
例えば、クルマです。チューニングの目的と方向性が決まれば、あとはパーツの交換をすればよいのです。絶対的な速さを追求するのではなく、気持ちよく走るためのチューニングをしたいのであれば、ショックアブソーバーだけを変更するという方法があります。スプリングは標準仕様のままでも、ショックアブソーバーの減衰力を高くすれば、クルマのピッチング(走行中に発生する小刻みな上下の揺れ)やロール(傾斜)が抑えられます。つまり、ムダな動きが少なくなるということです。皆さんは日常業務で絶対的な速さを求めているのでしょうか、それとも気持ちよさを求めているのでしょうか。それによって、自身をチューニングしてみてはいかがでしょうか。その先にある実現した世界が目的です。「現状把握」→「目的発見」→「目的達成」の繰り返しで社会は発展していきます。お互いが捉えた「目的」と「方向性」が一致すれば、同じフィールドにいる価値は倍増します。
明日、会社がなくなっても、自分の名前で勝負できるか
修行時代があって、その後に劇的な展開があって、「自分は成功した」と満足している人がいます。つまり、「俺もえらくなったものだ」と言っているようなものです。そういう考え方をする人は、その時点で輝きを失っています。人はいくつになっても、仕事に取りかかるたびに、修行は続いていると思わなければなりません。キャリア、スキル、人脈など社員のときに手に入れらるものはたくさんあります。せっかく勤めているのですから、今の会社にいることで享受できるメリットはとことん吸収しましょう。その起爆剤が「志」です。「志」とは、自分自身を騙すための方便みたいなものです。見つけることができれば、自分の気持ちを高揚させることができます。その結果、フロー状態になり、仕事をするのが楽しくなります。株や相場の世界には、「人の行く裏に道あり、花の山」という格言があります。誰もが行こうとしない場所に行くだけで、チャンスは格段に広がります。他の大勢から確実に抜け出せます。もちろん、結果もついてきます。
ピンチは人間の真価を問う試金石である
「精進」の『精』とは、物事に徹底すること、『進』とは一歩ずつ確実に目的に近付いていくことです。つまり、「精進」とは、目的に向かって休みなく努力し続け、最後までやりとげることを意味しています。試金石と呼ばれる石があります。貴金属の鑑定に用いる黒くて硬い石(玄武石など)の呼称で、表面に金属をこすり付け、その条痕から純度を判定する方法は古代からのものです。転じて、「物の価値や人の能力を判定する材料」という意味にも使われます。私たちの人生は、ピンチの連続です。自分にとって不本意な結果に終わることもあります。成功するとかしないとか、結果にこだわった努力ではなく、自己のベストを尽くして最後までやりとげることが大事です。どんな人生のピンチも自身の成長につながる試金石にしていきたいものです。
グランドデザインが挑戦的な課題を生む
「こつこつとまじめに努力していれば人生は何とかなる」と、教えられてきた人は多いのではないでしょうか?本当に運任せでよいのでしょうか?すべてのサクセスストーリーには、思いがけない機会(チャンス)と、それを活かすための着実な段階(プロセス)がつき物です。人生に、必要なものは、「グランドデザイン」(未来の設計図)です。イチローは小学校の卒業文集で「私はプロ野球の選手になる」と未来を描いています。未来の姿を明確に描けば、現実と比較してギャップが生じます。そのギャップこそが、課題なのです。課題を克服していけば、未来の姿に近づきます。最高のビジネスライフを送るというグランドデザインであれば、20代は新しい自分に脱皮する時代、30代は仕事で躍進する時代、40代は仕事で先導する時代、50代は後輩を指導する時代と位置づければいかがでしょうか。幸福をつかむためには、まず未来の設計図をもたなければなりません。
一日生きることは一歩進むことでありたい
一日一日、一年一年の着実な進歩が人生の中では大きな差を生むのではないでしょうか。宮本武蔵は、「千日の稽古を『鍛』とし、万日の稽古を『練』とする」という言葉を遺しています。千日は約3年、万日は約27年です。また、アニメのお話ですが、戸魂界(ソウル・ソサエティ)を守る護廷十三隊の隊長が操る最終奥義「ばん解」を会得するためには、才能に恵まれても完全に使いこなせるまで10年もの鍛錬が必要なのだそうです。人がひとつの道を究めるためには、それだけ長い鍛錬を要するということです。それにもかかわらず、人には短期的な成果を期待します。「なかなか成果が出ない」と思っている人は、自分がとれだけ学び、稽古したかを振り返ってみるべきでしょう。一番怖いことは、漫然と時を受け流すことです。昨日より今日、今日より明日と小さな努力を積み上げていくことが「プロ」の奥義を極める近道です。
木を見て、森を見て、流れを見る
社会や経済、企業や組織は、新しい複雑性のなかに身をゆだねています。これは「ダイナミックな複雑性」と呼ばれるもので、要素のつながりや相互関係から生じる複雑性です。例えば、森に存在する多種多様な生物の相互関係が創り出す森の営みそのものの複雑性です。これは、いくら種類を分類し、パターンを認識しても、理解することはできません。
虫は近いものを複眼で見る目を持っています。鳥は空から広く見る目を持っています。魚は流れを見る目を持っています。細かいことも大事、全体像も大事、そして方向性も大事ということです。真の解決策は、問題のすぐそばにあるとは限りません。全体最適化、つまり本質的な問題解決には、システム思考が欠かせません。マスターカードやデュポン、GMなどに、大きな利益をもたらしたシステム思考とは、目の前の問題が実はどのような要素のつながりで起こっているかを考える思考法です。システム思考で加速度的に複雑さを増す社会や経済の中で生き残り、成功を収めましょう。
成長し続ける企業とは、変化し続ける企業のことである
「AKB48」の人気が上昇し続けています。生みの親の秋元康さんは6月20日放送のNHK「仕事学のすすめ」で、人気の秘けつを「予定調和を壊すこと」と明かしました。予定調和とは、「そうなるであろう」と誰もが予測のつくことを指します。「会いに行けるアキバのアイドル」として人気が出てからも、秋元さんは、「ひとつの肩書き」では飽きられるのが早いと考え、新曲を出すたびにアイドルらしい曲、ダンス曲、合唱曲と曲調を変え、どこまでも予定調和を壊すことに徹しているそうです。変化し続ける「AKB48」から学べることは、「変化とはビジネスの常態である」「唯一不変なものは変化のみである」ということです。大企業だから生き残るのではありません。ダーウィンの進化論のように、変化に対応する知恵を持った企業が生き残っていくのです。皆さんは日々に流されていませんか?
「決意があるかどうか」――。これが決め手になる。
お昼時に定食屋さんで、「唐揚げ定食!」と注文したものの、隣の人が食べている「ハンバーグ定食」が美味しそうに見えることありませんか?昼食のメニューに限らず、目標設定や1日の行動など、ビジネスパーソンはテーマの大小にかかわらず、多くの選択肢の中から、ひとつの決断を迫られます。揺らぎはつきものですが、「決意」はそれを打ち消してくれます。決意とは、自分の意志をはっきり決めることです。フランス第五共和政の初代大統領シャルル・ドゴールは、「偉大なことは、偉大な人間がいなければ決して達成されない。そして、人間は偉大になろうと決意して初めて偉大になれるのだ」と述べています。言い換えれば、「できるまでやる」と決めることでしょう。決意は、強い自発性をもたらしてくれます。
成長の秘密は「たらいの水の哲学」にある
「たらい」は、洗濯機がなかった時代に重宝されましたが、いまでは見かけなくなりました。ですから、思い浮かべてください。たらいの水は、かき寄せてもすぐに逃げていってしまいます。逆に向こう側に押し出してあげると、水は自然に手元に返ってきます。「水」は、企業にとって「顧客」であり「利益」でもあるのです。つまり、儲けることばかりを考え、品質よりもコスト削減を優先し、短期的な利益を追い求めると、いずれは顧客に逃げられてしまうということです。それよりも、顧客に差し上げればよいではありませんか、そうすれば水はこちらに帰ってくるのです。商売の原点は、人に対して何ができるか?どうやったら喜んでもらえるか?まずそれをやりなさいという教えです。
経営とは、平凡な人に非凡な仕事をさせる技である
漫画「キン肉マン」では、主人公のキン肉が窮地に陥ったとき、普段を遥かに超えるパワー『火事場のクソ力』を発揮する場面がありました。キン肉マンでなくても、極度に興奮したりしたとき、アドレナリンがたくさん分泌され、超人的な力が出る場合もあります。「凡をして非凡ならしめるもの、これ組織なり」という言葉がありますが、組織は相互に弱点を補強するアドレナリンを多く分泌できるほど、高い相乗効果が得られるのです。そのためには任された仕事に創意工夫をこらし、自分の弱点をカバーしながら強みを磨いていくことです。お昼には、キン肉スグルの火事場のクソ力牛丼を食べて英気を養いましょう。
どんな状況に追い込まれてもブレない理想を持て
動物本来の姿を見せる「動態展示」で全国的に知られるようなったのが、北海道の旭山動物園です。今では、ディズニーランドに次ぐテーマパークになってしまいました。そのサクセスストーリーを当時、園長をされていた小菅正夫さんからお話をうかがう機会に恵まれました。最も重要なポイントは、どんな状況に追い込まれてもトップがブレずに事業理想を描き続けたことです。理想の動物園を追い求める姿勢が従業員に伝わり、組織一丸となってビジョンを実現するために日々準備を怠らなかったのです。廃園の危機に立たされていた状況においても「そもそも動物園とはどうあるべきか」というテーマで議論を重ね、常に動物園としてあるべき姿を追求し、組織に属するもの全てがビジョンを共有していたのです。そのブレない理想がペンギンを飛ばせたのです。
常識を超えた目標が多くのアイデアを生む
これは雪国まいたけを築いた大平喜信社長の言葉です。貧しい農業に生まれた大平さんは、貧乏な自分の人生を受け入れることなく、ハングリー精神だけを武器に不可能とされたマイタケの人工的大量生産を実現します。その成功にとどまることなく、今度は便利だけど割高感があったカット野菜を98円で売り出し、わずか6ヵ月で1日6万パック売れるトップシェア商品に育て上げました。ただ、役員会議で大平さんが発した言葉は、「3年で200万パック売るためにどうすればよいかを考えてください」という指示でした。10万、20万パックという目標設定では、それだけのアイデアしか出てこないからです。自己の目標設定を高く持てば持つほどアイデアが生まれてくるのです。
人生の結果は能力と考え方と熱意の相乗績だ!
各人が神からいただいた人生劇場の招待席をどのように活かしていけばよいのでしょうか。能力とは、多分に先天的なものです。しかし、熱意は、自分の意思で決められます。この能力と熱意はそれぞれ0点から100点まであり、それが積にでかかると考えると、自分には頭抜けた能力がないと思って誰よりも情熱を燃やして努力した人の方が、はるかに素晴らしい結果を残すことができるのです。「あしたのジョー」の矢吹丈は、先天的なボクサーの能力を身につけていましたが、丹下段平と出会うことでボクサーとしての熱意が燃え上がり、力石徹やホセ・メンドーサらと死闘を繰り広げるまでに成長したのです。彼の出発点も、考え方を変えることでした。
出迎え三歩、見送り七歩の精神を持て
永田町の有名な料亭の女将が、魚の行商から政界・経済界の重鎮が足しげく訪れる繁盛店を築きあげた秘訣を聞かれ、「ただ、お出迎え三歩、お見送り七歩を続けてきただけ」と答えたという逸話が残っています。お客様をお迎えするときは三歩前に進み出てお迎えする。お客様をお送りするときはさらに進み出てお客様が見えなくなるまでお見送りする。一期一会を大切にする日本の心が、こうしたひとときの出会いと別れのしきたりにも、込められているように思います。そしてまた、作法とは「人を思う気持ちの現れ」です。この心は私たちすべてにあてはまる精神です。顧客になっていただいたときより、継続して顧客であり続けてもらうことを大切にしなければなりません。
成功とは事前に設定した意義深い目標を実現していくことである
成功とは一過性のものではない。1つのプロセスである。その成功の積み重ねが次ぎの成功を生み、大きな成功に結び付く――。失敗ばかりであきらめてしまう人に贈りたい言葉です。「経営の神様」と言われる故・松下幸之助さんは、何事も成功するまで続ければ、失敗はない、と断言しいています。成功するためには熱意と集中力の持続が求められます。また、目標に向かって走っている過程を「楽しい」と思うことです。ゴールだけを考えて焦るから失敗するのです。過程を楽しむことができれば、挫折や失敗という言葉とはさよならできます。
人生は長距離レースではない。短距離レースの連続なのだ。
♪人生楽ありゃ苦もあるさ~♪
生まれなければ始まらないし、終わりのない人生はありません。限りがあるからこそ貴重なのです。人生は、一見長距離レースのように思われがちですが、時代の変化の波にさらされながら、無限の可能性の中から、たった一つの選択肢を選んでいく作業なのです。よく人生を100m短距離レース、400mリレー、マラソンなどに例えられますが、昨今のように変化の波が寄せては返す時代は、短距離レースの連続、言い換えれば、一つの波を上手に乗りきり、次の波に挑戦すると考えるべきでしょう。かつて、日本人全員が中流意識を持っていましたが、現在はM型と言われるように格差がついています。安定したサラリーマン生活も過去の産物です。目の前の目標に向かって全力疾走することが求められているのです。
組織とは、共通の目的のために働く専門家からなる人間集団である
これは“マネジメントの父”と称されたピーター・F・ドラッカーの言葉です。組織は、特定の目的を達成するために、設計され、形成されます。組織では、個人および集団に専門分化された役割が与えられます。ドラッカーはこう付け加えています。一人ひとりの人間は個であり続けるということは、個人の強み、主体性、責任、卓越性が集団全体の強みの源泉になるよう組織する必要があると。これが組織における大原則です。算数では「1+1+1=3」となりますが、計量心理学で定量化した場合「1+1+1」は「2.7」や「3.2」などになります。これがシナジー係数と呼ばれるもので、組織力の生産性をあらわした数値なのです。例えば、Perfume(パヒューム)も、のっち、かしゆか、あ~ちゃんがばらばらではシナジー係数は「2.7」ですが、3人の個性が融合してPerfumeになることで、係数が「3.2」にも「3.5」にもなっているのです。共通の目的の認識度合いが組織の成果に現れるのです。
「必ず結果を出します」というのが本当の決意表明である。
「がんばる」は、「が(我)には(張)る」の音変化で、本来はあまり良くない意味で使われる例が多かったそうです。それがベルリンオリンピックの実況アナウンス「前畑がんばれ!前畑かんばれ!」で有名になり、次第に良い意味で使われるようになってきたのです。「がんばります」がビジネスの受け答えで一番多く使われる言葉ですが、大切なことは、どのようにがんばるか、なのです。「がんばったけれどダメでした」では決意表明になりません。「がんばる」という言葉に当てはまる英語はありません。決意表明には、自分の強い意志がこもっているものです。それが「結果を出します」という言葉です。
知力と情熱を集中すれば、必ず道は開ける
知能テストは、知力を測るものさしとしては不完全です。そのことは、極めてIQの高い人でも、合理的に考えたり行動をとったりすることができない人がいることでも明らかです。知力を分解すると、発想力×想像力×総合的判断力×論理的分析力ということになります。これに情熱が加われば、「鬼に金棒」です。一休さんは、さまざまな無理難題を知力で見事に解決していきますが、価値観が多様化する今日こそ、知に基づく実践が何よりも求められています。知が課題を見つけ、解決に向って情熱を燃やせば、道が必ず開けるからです。
過去にこだわる者は未来を失い、過去を省みなければ未来を創れない
闘う男には、成功体験がつきものです。結果が出ると、うれしいものですが、それは既に過去のものになっているのです。過去の成功体験にとらわれると、時流の変化についていけません。過去に経験したことを教訓として、次のステップに結び付けることが、未来を明るくしてくれるのです。「未来」という言葉には、「これから訪れる新しい時代は現在よりよくなっている」といった希望的観測が感じられる一方で、「この先に何が待っているかは全く分からない」といった不安に近いニュアンスも併せ持っています。今日を大切にして、それを積み重ねていけば、明るい未来につながるはずです。
人間関係を好調に維持するためのポイントは、接点力と文章力にある
人間は1人では生きられません。一人の人の人生は、人間関係の歴史そのものと言っても過言ではありません。その中には、良好な関係もあれば、険悪な関係もあります。また、せっかく築き上げた関係が、短期間で崩壊してしまうこともあります。ビジネスは、あらゆる人との接触によって成立っています。その接触は好感を持っていただけるものでなければ、良好な人間関係を維持できません。人間関係を維持するためには、接するときの態度と言葉遣いが重要です。同時に、メールや手紙などでやり取りする場合の文章力も大切なポイントになります。顧客と接するときに「ごまかし」はききません。
自分は社会に貢献できる人間かどうかを常に問い続けろ
親や教師の究極の役割とは何でしょうか。子どもが他者に依存することなく自立して生きていくこと、そして「社会に貢献できる人間」に育てることではないでしょうか。二子玉川学園高校へ赴任してきた新人教師の川藤幸一は、野球部の顧問になって不良部員たちの根性を叩きなおそうと奔走します。自分がこの世に生かされているのは、ご両親はもちろん、上司や同僚など回りの人たちのお陰です。その恩に報いるためにも、社会に貢献できる自分でなければなりません。生かされているという気持ちが、一歩を踏み出すエネルギーです。
生活サイクルを見直せば、新しい人生の扉が開く
朝型の人と夜型の人がいます。1日の生活サイクルが平均より前にずれているか、後ろにずれているかの違いですが仕事では大きな開きが出ます。朝型の人はすっきりと気持ちよく目覚め、毎朝きちんと朝食も食べます。午前中から頭はフル回転、バリバリと仕事をこなすエネルギッシュなタイプです。一方、夜型の人は朝起きるのがとにかく苦手で、胃腸があまり強くないためでしょうか、朝食を食べないことが多いみたいです。そのため、午前中はいまひとつ仕事の効率が上がりません。1日の正常なサイクルは24時間ですが、サイクルを守っている人と、サイクルが狂ったり不規則だったりする人では仕事の取り組み方が変わってくるのです。生活サイクルを見直すのはとても厄介ですが、今までと違った人生の扉が徐々に開くはずです。
既成概念にとらわれない、新しい視点に基づく新しい意味づけが問われている
時の流れは、「第3の波」から「第4の波」へ移りました。「Conceptual」は構想・着想と訳されますが、「第4の波」では複雑な問題に対する解決力や論理性・創造性といった知的ポテンシャルを指しています。これまでの「情報化社会」では左脳主導思考の人たちが社会を動かしてきましたが、これからの「答のない社会」では芸術的で創造性に富む右脳主導思考の人たちが社会を動かすとみられています。日本は、これから何をして食べていけばよいのでしょうか。豊富な知識を消化して、新しい知見を導き出すことしかありません。
自分の給料の3倍以上稼いでいるかを常に問え!
日本労働生産性本部のデータによると、2007年度の労働生産性は、武田薬品が6,100万円、第一三共が5,528万円、アステラス製薬が4,126万円となっています。ちなみに、製造業に属する東証一部上場企業では、任天堂の3億1,150万円が断トツです。給与の格差は、企業に対する貢献度に比例します。つまり、どれだけ企業に付加価値をもたらしているかで格差が生まれるのです。まず、「自分は給料の3倍以上の付加価値を稼ぐ」という意識を持つことが出発点になります。そうすれば、必ず自分の働きに給料がついてくるはずです。働く時間の長さではなく、働く質が問われているのですから・・・。
好奇心は夢に向かって走り続けるためのエネルギーだ
夢を実現する秘訣は4つのCに集約される。それは好奇心(curiosity)、確信(confidence)、勇気(courage)、継続性(constancy)である――。
これはウォルト・ディズニーの言葉です。好奇心とは自発的な調査・学習といった知的活動の根源となる感情で、人間をつくる「種」とも言えます。人間が目新しいものにぶつかった場合、まず驚きが先に立ち、それから好奇心が生まれるのですが、大人になると、子どものときのような強い好奇心が失われがちです。うっかり毎日の生活にうもれてしまうと、これを忘れてしまいますが、そんなときには子どもたちがよい先生です。日常業務であっても常に好奇心を持つよう心がけましょう。そこには違う世界観が拡がっています。
全ての答えは、現場にあることを忘れてはならない
トヨタには、上司から部下へ伝えられる「三現」という言葉があります。現場、現状、現実です。現場には、経営のすべての要素が埋もれています。ですから、現場を仕切る力のない者は、社長になる資格がないといっても過言ではありません。現場を自ら歩いて導き出した結果が経営なのです。この視点が、今の医薬品業界には欠けているような気がしてなりません。現場力を失い社長という地位に安住する者は、牙が削がれた虎のように堕落するだけです。明日の社長を夢見て現場力という名の牙を研ぎましょう。
不況ではなく、「変化がやってきた」と見方を変えれば自分も変わる
「不況だから賃上げはしない」と言われて皆さんは納得するでしょうか。不況を克服するためには従業員の士気高揚が不可欠なはずです。同じように、不況だからとあきらめるのではなく、不況を変化と捉えれば、チャレンジできるはずです。今までにない波が変化ですから、その“波”の解明に取り組むことができます。そして客観的な「事実」を整理して、全体像をつかむのです。全体像がつかめたら、自分、自社にとって挑戦するべきテーマが見えてくるはずです。まず自分のモノの見方を変えることです。
学習とは自己啓発による精神の錬磨である
P・Fドラッカーの著書「すでに起こった未来」の中に記されている言葉です。学習とは、技術習得のためだけに行なう行為ではありません。学習とは、人間を変える行為なのです。言い換えれば、自分の意思で、自分自身の能力的な向上や精神的な成長を目指す訓練が学習なのです。北斗四兄弟の末弟にあたるケンシロウが師父リュウケンから正統伝承者として選ばれたのも、一撃必殺の拳法「北斗神拳」を正しい道に導く精神を身につけたからです。まずは、自分に足りないところを振り返ってみることから始めてみませんか。
いざとなれば損得を度外視できるその性根、それを持つ人間ほど怖い相手はない
これは巷で増殖中の歴史好きな女性「歴女」の断トツ人気No.1真田幸村の言葉です。大阪冬の陣で、幸村に思わぬ苦戦を強いられた家康が、家臣の真田信尹(幸村の叔父)を真田丸に向かわせ、寝返れば信濃10万石を与えるという約束を持ちかけますが、このような好条件でさえ幸村の答えは「ノー」でした。裏切りや打算による行動が当たり前だった戦国時代に幸村は「義」を重んじたわけですが、皆さんにはどれだけ顧客側に立てるかが問われているのではないでしょうか。
脳裏に「成功イメージ」を焼き付ければ、現実になる
思ったことが現実になる――。人間の脳は、どんなに優れたスーパーコンピューターをもしのぐ、素晴らしい能力を持っています。人には、そして脳には、願望を現実に変える力があるのです。まさしく神様が与えてくださった力です。あなたが「こうありたい」という願望があれば、目を閉じてあなたの最高の姿をイメージしてみましょう。あたかもそれが実現してしまっているかのように思えれば、成功のための道筋が見えてくるはずです。頭も使いようです。
自分が成長すれば、自分の周辺環境を変えることができる
「環境が悪い」「社会が悪い」と言って嘆くだけでは何も変わりませんし、逃げているとしか映りません。それは、こんな土地に生まれたくなかった、こんな家に生まれたくなかったと自己否定しているようなものです。どうにも変えられないことを嘆くほど馬鹿げたことはありません。自分自身が努力して成長すれば、自分を取り巻く周辺環境も変わってきます。神様から授かった1枚の招待席を大切にしましょう。
口だけなら何とでも言える、行動してこそ価値がある
「不言実行」とは字が示す通り、他人に公言しないで、自分の心に決めたことを実行することで、その逆が「有言実行」です。「俺はこうやるぞ!」と高らかに公言して、実行に移し結果をだすことです。自分で目標を立て、それを公言して実行することは大変ですが、これは自分を枠の中にはめて、出口をふさいでやらざるを得ないように仕向ける手段です。あのモハメド・アリも試合前に大口を叩くことで自分を追い込み、モチベーションを高めたそうです。三日坊主で終わるのは自分自身を枠の中に入れられないし、出口がふさげないからです。不言でも有言でも、まず行動することです。
毎日、正しい行動を繰り返していれば、必ず大きな芽が出て、やがて大きな幹になる
「何が正しくて、何が間違っているのか」を判断する基準が価値観で、誰しも物事の優先順位付けや重み付けに使っています。ある人が抱く価値観は、その人の具体的な行動となり、「ライフスタイル」や「生き様」などになって現れます。それだけに自分が正しいと信じることに邁進する際は命がけで望まなければなりません。「1%のひらめきがなければ99%の努力はムダである」――。これは竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても挫折せずに努力し続けるようエジソンを支えた言葉ですが、ひらめきに裏付けられた確信があれば必ず成功します。最高級のひらめきは突然やってきて一瞬のうちに消え去ってしまうので注意しましょう。
人間としてピュアな心をもつことが自分を成長させる
あなたは子どものときのようにピュアな心を持ち続けていますか?地球史は48億年、人類史は約100万年ですが、人間の命は長くても100年です。宇宙からみた100年は、ほんの瞬きくらいに過ぎません。そんな小さな人間の生きる目的・意義・価値・理想とは何でしょうか?人間として未熟であるからこそ、「不安な心」「苦しい心」「寂しい心」「怒りの心」「逃げてしまいたい心」「欲望の心」が存在するのです。でも・・・ピュアな心は顔に表れるので何歳になっても持ち続けたいものです。損得だけで動く「損得先生」になったらおしまいです。ピュアさが他人の心を動かします。誰にでもあるピュアさを自分で見つめなおしてみましょう。
迷いは誰にでもある。要はどこまでしっかりとした志を持つかである
人生に“道標”はないので、決断のときが迫っているのに方向性や自己を見失うことがよくあります。誰にでも迷いはあるのです。ぐずぐずして、いつまでも疑い、決断せずにためらうことを「遅疑逡巡」と言います。その対義語が「迅速果断」「即断即決」です。そんなとき、大切なことは自分の「志」とか「哲学」「信念」です。これらの人生の“ものさし”を持っていれば遅疑逡巡することはありません。自分の生きる道をしっかり見極めることです。
「100点」はいらない。環境適応力と変化適応力の及第点は「75点」だ。
「神風」さえ吹いてくれなくなった日本の環境は、厳しさを増しています。だからこそ、経営でも個人でも、その環境をしっかり読んで、それに合わせた行動をとらないと負け組になってしまいます。ただ、環境適応力と変化適応力は、二律背反の関係にあることを忘れてはなりません。環境に適応しないと、滅亡するか、冷や飯を食うことになりますが、特殊な環境に適応して、中心に近づけば近づくほど、環境の変化に対応することができずに、滅亡するリスクを抱えることになるのです。「0点」か「100点」のスペシャリストではなく、どんな環境にも適応できる平均点「75点」の能力を持つジェネラリストが激変にさらされても生き残れるはずです。いつでも平均点がとれる能力を身につけましょう。
女に嫌われるヤツは、男にも嫌われる
女性は感性が豊かです。それだけに出会った人を瞬時に好ましいかそうでないかを判断してしまいます。女医や看護師等は、まず物腰やセンスで判断するようです。第一印象が悪かった場合、その後に挽回することはとても難しいものです。当然ですが、女性から嫌われる人は男性からも嫌われてしまいます。その根底には、「常に相手のことを優先して考える」とう隠れた能力があります。
「絶対にやり遂げる!」という信念を持ち続けることが結果を生む
化学分野のノーベル賞を受賞した下村脩ボストン大学名誉教授は、オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質を発見、その後に医学研究用の重要なツール(GFP)に発展させたことが評価されました。下村氏はNHKのインタビューで、「自分の考え方は間違っていないと信じ続けたからこそ成し得たことです。努力は結果が出てこそ努力と言えるのです」と述べています。長いトンネルに遭遇しても信念を持ち続けることです。そして「自分は努力しているのに・・・」と嘆かないことです。「努力した」と言えるのは、『結果が生まれたとき』だからです。
面倒くさいことを面倒がらないことが幸運をつかむチャンスになる
ソニーで副社長を務められた大曽根幸三さんの語録に、「急ぎの仕事は忙しいヤツに頼め!」というのがあります。忙しい人間ほど時間のやりくりがうまく、計画をきちんとたて、実行する力を備えているので、急ぎの持ち込み仕事でもこなせるからです。いつも携帯電話で電話をくれる人がいますが、決まって「歩行中」です。電車は座れればノートパソコンで仕事ができますし、座れないときでも立ちながらメールをチェックできますが、歩行中にできることは電話というわけです。忙しい人だからこそ回りの人から信頼されるのです。急ぎの持ち込み仕事を頼まれるのはそのバロメーターです。「明日でいいや」という人には幸運の女神も逃げてしまいます。
われわれの最大の競争相手は同業他社ではなく目まぐるしく変わる環境だ
かつて「十年一昔」と言われましたが、現在は三年一昔どころか「一年一昔」と言うほうが適切かもしれません。昨年1年間を振り返ってみても、3ヶ月単位で大きな変化が訪れています。一時急騰した石油などの資源も沈静化どころか逆に下落しています。“超優良企業”と言われたトヨタも右肩上がりの成長から初の営業赤字に転落する見通しです。製薬企業は、「医療環境適応業」です。常に緊張感を持って、変貌する医療環境に適応していくことが求められます。
竹のように「節」を大切にすれば新しい自分が芽生える
竹は、青々としてまっすぐ伸びる様子から、榊(さかき)とともに清浄な植物のひとつとされています。竹は節から芽をだして伸びていきます。成長力が強く、ピーク時には1日で1m以上成長するそうです。また、地下茎を広げることによって生息域をどんどん拡大します。人間にも人生いろいろな「節目」があります。その節目を大切にして、新しい芽がでるよう過去と未来を見つめ、新たな自分を伸ばしていかなければなりません。「破竹の勢い」で人生を勝ち進みましょう。
計画を持たない人間は、計画を持った人間に使われるだけになる
目標を達成するためには具体的な計画が必要になります。計画が立てられない人間は、計画を持つ人間の手駒にならざるを得ません。人間は誰しも“神からいただいた1回の招待券”を持っています。その招待券をどのように生かすかは本人次第なのです。計画を立て、目標を達成すれば、人生は楽しくなります。人生の「地図」も塗り替えることができるはずです。
結論なき組織はメンバーがいかに優秀であっても動くことはできない
人は、目的・目標が明確で、それを心から理解しているからこそ、挑戦意欲がわいてくるのです。そうでなければ、具体的な行動計画がはっきり描けません。出口の見えない結論なき会議を繰り返しても、計画は生まれませんし、行動にも結びつきません。また、部下がいくら優秀でも、リーダーが結論に基づく明確な方向性や具体的な行動目標を指し示すことができなければ結果は生まれません。挑戦意欲をかきたてる土壌作りが大切です。
毎日正しいことを繰り返していれば、不可能が可能になる
♪人生楽ありゃ苦もあるさ♪です。
まじめに取り組んでいれば、必ず成功の扉が開くはずです。
また、自分が正しいと信じる行為を繰り返していれば、知らず知らずのうちに体が覚え習慣的に動けるようになります。信念は岩をも貫くで、次第に周りの人たちからも評価されるようになります。後から来たのに追い越され、泣くのが嫌なら、さあ歩きましょう!でも・・・時には立ち止まって、自分がやっていることが正しいかどうかチェックすることもお忘れなく。
いま自分がやるべき課題を認識し挑戦することが強さを生む。
企業であれ、個人であれ、克服しなければならない課題があります。その課題を克服しない限り、強くはなれないし、成長もできません。課題とは、解決すべき問題です。課題は強い信念を持たない限り、克服できません。例えば、プロ野球の投手であれば、内角低めのストライクを投げるコントロールが要求されます。自分に強みがないとすれば、その課題に挑戦するべきです。
「頑張ります」から「必ず結果をだします」へ
「頑張る」という言葉は、自分の考えを押し通す「我を張る」が転じたものだといわれています。そのためでしょうか、自分の考えや意志をどこまでも通そうとしますが、肝心な結果が付いてこなくても、「仕方がない」で終わってしまうことが多いようです。そのため、「頑張ります」の連続では発展もしませんし、価値も生まれません。言い換えるとすれば、決意と魂が込められた「必ず結果をだします」でしょう。今日から「頑張ります」という言葉に終わりを告げましょう。
変化の時代には“朝令暮改力”が企業を伸ばす
日本人は、「変化を嫌う民族」といわれています。そのため、組織が大きくなるほど環境が変わることに抵抗する社員が多くなります。でも・・・そんな「変化」の中にいろいろな成功がつまっているのだとすればどうでしょう。朝令暮改は当てにならないさまを表していますが、朝令暮改力とは“新しさ”への許容度が大きいことを指しています。情勢が変わるビジネスにおいては、その変化に応じて方針・戦略を変えていかないと遅れをとってしまいます。そうならないためには潮の流れを見極める眼力が必要です。力のある上司には、「ころころ変わる・・・」とぼやかないようにしましょう。
できるわけがないではなく、できるはずだという思考が企業を伸ばす
昔は、「心配性」とか、「取り越し苦労」などとも呼ばれましたが、行動を起こす前に否定的な結論を出してしまう、「マイナス思考」では成熟した薬剤市場で生き抜くことはできません。マイナス思考は、ひとつの失敗や不成功から生まれる脳内の「負の連鎖」ですが、「できるわけがない」と思うと、脳は細胞を総動員して、「できない理由」を見つけ出そうとします。逆に、「できるはずだ」と思うと、脳はどうすればできるかを真剣に考え始め、仮説や道筋を見つけ出そうとします。目標が決まれば、まず成功したときのイメージを思い描きましょう。
議論したら必ず決める、決めたことは必ずやる
ダメな企業は、ダメなこと自体に気付いていません。議論はするけど決めない、決めるけれどやらない、というのはダメ企業の典型例です。目的意識をはっきり持って、議論すれば必ず決めることができます。目的があやふやで、不純であれば議論するだけ時間のムダです。議論する場合は、目的意識を明確にしなければなりません。そして、決まれば、期限を切って「いつまでに」「どの状態までに」ということを確認すれば、行動も伴うはずです。
強さとは“変わらないもの”をもつことだ
継続は力なり、力は正義なり、正義とは強さなり、と言われます。つまり、続けられる“変わらなさ”に強さの源泉があるわけです。変わらないためには、「信念」「理念」を持つことが必要です。吉川英治の著書に描かれている宮本武蔵は粗野で乱暴者でしたが、後に「強さとは何か」を探求するため、剣の達人たちに試合を挑み続けていきます。道を探求していく過程で、自分の心に磨きがかかり、「強さ」が身につくのです。
「夢に日付を入れろ」
夢(目標)は、達成するためにあります。当然、「いつまでに」といった日限を切らなければなりません。日限を切るからこそ、具体策が湧いてきますし、行動力に弾みがつくわけです。日限のない目標は、叶わぬ夢に過ぎません。例えば、本を読むにしても何時までに何ページ読むと目標を立てると、何分で1ページと計画できます。1日の仕事においても同じことが言えます。仕事にリズムが出てきて楽しくなります。
毛虫から脱皮できない昆虫は蝶になれない
蝶は、完全変態(動物が発育していく途中で時期に応じて形を変えること)をする昆虫の仲間です。完全変態とは、一生の中で、卵→幼虫→蛹(さなぎ)→成虫と、成長とともに体の仕組みや形を変えていくことです。その過程で天敵に遭遇するので、生存率が大変低く、100個の卵のうち蛹になれるのは約2個、蛹の2個のうち蝶になれるのは約0.6個といわれています。私たちもハッピーリタイアメントするまでは、環境の変化に対応して完全変態を繰り返していかなければなりません。さて、皆さんはどの段階にいると思われますか?
「マーケティングとは顧客の不満足の“不”を除去することだ。」
マーケティングという用語については、過去から現在までいろいろな解釈がなされてきました。日本マーケティング協会の定義では、「企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動」とされています。簡単に言ってしまえば、「売れる仕組みづくり」でしょうか。医薬営業マーケティングでも、「SOV(Share of Voice)からQOV(Quality of Voice)への転換」が叫ばれ、コールの質や精度が重要視されるようになりましたが、顧客が聞く耳を持ってくれなければ意味をなしません。顧客に聞く耳を持たせることは、“不”を知り、除去することから始まります。
「2つに分かれている道のうち、人があまり通らない道を選ぶ勇気をもて!」
人間は、一生のうち、幾つかの「分かれ道」に遭遇します。最初が、学校であり、就職であり、結婚などです。社会に出ると、転勤や、それに伴う家族の問題など悩ましいことも多々あります。おまけに、社内で昇進し、幹部になればなるほど大きな判断に迫られます。人が通った道を辿るのは無難ですが、たいした収穫も得られないでしょう。自分を信じて新しい道を切り拓く勇気をもつことは自己成長にもつながります。
着眼大局・着手小局
最近は、世の中の流れが速まっています。それだけに“木を見て”仕事をするのではなく、“森を見て(木の大きさを知り)”仕事に取り組まなければなりません。目の前に「大きな箱」と「小さな箱」があります。好きな方を選べと言われたら、皆さんはどちらを選びますか。「舌切り雀」なら、小さな箱が正解ですが、全体の状況を俯瞰的に捉えた上で、目の前のことにも最新の注意を払いなさいと教えているのが、「着眼大局・着手小局」です。ですから、私たちは、大きな箱も小さな箱も選ぶくらい欲張りでなければならないのです。
企業が抱える真の問題から目をそらすな
問題学という学問の中に、「問題が問題でないことが問題だ」というパラダイムがあります。それぞれの企業はいくつもの問題を抱えていますが、問題意識がないと問題を発見することさえできません。ただ、問題が放置され続けると、やがて企業の存続にかかわるような事態を招きます。環境が大きく変わり、競争の質も変わってきています。常に問題意識を持ち、社員の“本気力”を引き出すサポートができているかどうかが管理職には問われています。
「過去のパターンの踏襲は組織をどんどん弱めてしまうことになる」
今日の変化スピードは、ツインターボが搭載されたスポーツカーのようです。これまでは、「十年一昔」と言われていましたが、今では、「一年一昔」と言うほうが相応しいかもしれません。それだけに国家も企業も人も構造改革を進めていかないと時代から取り残されてしまうことになります。「ジャパン・ナシング」と揶揄されるように、“日本無視”の兆候が現れ始めています。無能な政治家に責任をなすりつけるのは簡単ですが、医薬品業界でも主力商品の特許が2010年前後に切れる「2010年問題」を抱えています。MRやMSの皆さんも過去の成功パターンを引きずっていませんか。改革なくして発展なしです。
社会の掟は因果応報である。
人間の考えや行いの善悪に応じて報いがくるということです。つまり、自分が作った結果が必ずその身にふりかかってくるわけです。よい結果を出すためには、目標に向って情熱を燃やして挑戦していくことです。そうすれば、必ずやよい報いが付いてくるはずです。人間として正しい考えを持って正しい行動をすることこそ、その人間を大きくしていくものなのです。まず、自分を磨くことから始めましょう。
「成功の鍵は責任である。自らが責任をもつことである。」
この言葉は、「現代経営学の発明者」と呼ばれる故ピーター・F・ドラッカーが、「非営利組織の経営」という著書の中で述べている言葉です。「大事なのは地位ではなく責任である。責任ある存在になるということは、真剣に仕事に取り組むということであり、仕事にふさわしい成長の必要性を認識するということである」―。
責任とは、自分の行いから起こる損失や制裁を自分で引き受けることです。つまり、自分自身を律することですから、人として成長することを意味しています。責任を負わない成長などありえませんし、成功するまで実践できれば、失敗という言葉も消え失せてしまいます。
時代の趨勢を読み取り、「適材適所」から「適所適材」へ
今や「ドッグイヤー」を超え「マウスイヤー」と言われるように、変化のスピードが7倍から18倍へ速まっています。昨日の常識が今日の非常識に変わるぐらい価値観も変化しています。当然、市場の要求も変わってきます。そのため、戦略も臨機応変でなければ陳腐化してしまいます。
適材適所は当然のことですが、変化に対応するためには組織も変えなければなりません。例えば、保険薬局営業部などです。新しい組織には、最も適した人材を配置しなければ無意味です。それが、「適所適材」なのです。
「ガラパゴス現象は起きていませんか?」
一般教養の頁に解説をつけましたが、他の国では受け入れられない商品やサービスがもてはやされる日本の現状を危惧して、野村総合研究所が投げかけた問いかけです。「敗戦後から90年代後半までの成長期(約40年間)に蓄えた国の力を、少しずつ使い続けているのが現在の姿だ」と、野村総合研究所の吉川尚宏氏が分析しています。国外で販売できる商品やサービスを生み出す力、売っていく力を持つ企業がどれだけ現れるのか?ガラパゴス現象を打ち破ることができるのか?国民全員で考え行動を起こすときかもしれません。
「実るほど頭をたれる稲穂かな」
人間は本当の強さを身につけていないと、感謝の気持ちが沸いてきません。京都大学大学院で教鞭をとる中西輝政教授は、「考え方」という著書の中で、「自虐的にしか自分を見られない多くの日本人の姿をみると、自分を映す鏡が歪んでいるのではないかと思います。自分を映す鏡とは、つまり、“歴史観”です。すべてのものの見方・考え方は、“正しい自画像”を出発点に始まるのです」と著されています。「自分は人間としてどのような生き方をしようとしているのか」といった目的・目標を明確に持っていないと、どの職業についてもうまくいきません。
「ITがもたらす変化は産業革命に匹敵する、その本質はコストの劇的な低下にある。」
日本経済新聞の朝刊最終面(文化面)に掲載されているコラム「私の履歴書」にグリーンスパン氏が取り上げられていました。彼は、著書「波乱の時代」の中で、労働生産性が相対的にアメリカより低いのは「進化するIT導入の遅れ」と指摘しています。2005年度のOECD加盟国における労働生産性では、アメリカが第3位:8万6,714ドルであるのに対し、日本は20位:6万1,862ドルと30%も水を開けられています。OECD加盟国の平均が6万3,267ドルですから、日本は平均以下ということです。その大きな理由は、IT技術を活用していない企業、業種が多いということです。言い換えれば、日本には、BPRと無縁な企業がまだ多いということです。これらの企業はドラスチックな競争の渦に飲み込まれてしまうことでしょう。
「物理的、電子的に企業と個人が到達できる空間は劇的に拡大している」
アラン・グリーンスパン氏は、著書「波乱の時代」の中で、労働生産性が相対的にアメリカより低いのは、「進化する情報通信技術の導入の遅れである」と指摘しています。日本とアメリカの生産性を2005年で比較すると、日本の6万1,862ドルに対して、アメリカは8万6,714ドルです。アメリカは日本の1.4倍です。この理由は、IT投資に関するグランドビジョンがないからです。IT投資が散漫で、部品的(部分最適)に扱っているので、サプライチェーン(供給連鎖)を劇的に変えるシステム構築が進んでいません。アクセスできる市場空間が拡がる中で、企業格差も拡がるばかりです。
「企業経営には根幹をなす3つの基本概念(ミッション、ビジョン、バリュー)が必要である
①ミッション(何のために存在するか)
社会貢献なくして存在価値はありません。
②ビジョン(10年後、50年後どうありたいか)
ビジョンとは未来の姿です。描く姿なくして未来もありません。
③バリュー(社内で共有されている大切な価値観は何か)
市場に提供している企業独自の付加価値があることです。
企業経営には、この3つの基本概念がないと経営は成り立ちません。永続性を保っている企業は、3つの基本概念がしっかりしています。最近、老舗店の偽装問題が相次いで発覚しましたが、その原因は3つの基本概念が崩れたからです。
お客様主導は“永久の課題”であることを忘れてはならない
「客なくして企業なし」――。
かつてP・F・ドラッカーは、「企業は顧客創造業である」と述べています。時代の流れは「ニーズ」の時代から「ウォンツ」の時代に移っています。最近よく言われる「アンメット・メディカル・ニーズ」(未だ有効な治療方法がない医療ニーズ)も「アンメット・メディカル・ウォンツ」に変える必要があるかもしれません。want(欲している)は、ニーズより一歩も二歩も深く入り込んだ表現です。特効薬のない患者さんは苦しんでいます。それを助けるために製薬企業が存在しているのです。
今の時代にいらないものは過去の常識だ
常識は生き物のように変化しています。常識とは、「その社会が共通に持つ考え方」のことです。ですから、社会環境が変われば、常識も変わるので、普遍的な真理とは限りません。例えば、エスカレーターに乗る場合、関西では右に立つのが常識ですが、関東では左に立つのが常識です。医療環境も医療機関も変化しています。過去の実績や営業スタイルが常識ではないことを胸に刻んでおくべきでしょう。
事実は曲げられない、真実は1つだ。それを隠すことはできない
夏の第21回参議院選挙では自民党が大敗しました。逆風の直接のきっかけは社会保険庁の失態と政府の初動ミスに対する怒り、そして透明性を欠く政治資金問題への批判でした。
一方、社会に目を向けると、企業の腐敗ぶりが目を覆うばかりです。北海道のミートホープ事件、保険会社の未払い問題、建設会社の耐震問題など、あまりにも多すぎます。
何事も真実はただ1つしかありません。その真実を隠そうとして、一時的に逃れても、後で真実が分かったときは、その企業なり、その人なりの信用失墜は倍加されます。人間として真価が問われるのは、真実に向き合ったときの対処の仕方で決まるのです。
人間には不器用さが必要だ。それが人間らしさである
最近の人には、“不器用さ”がなくなったような気がします。私たちは他人を評するとき「あの人は不器用だ」と言いますが、その場合、『あの人は良い人だ』という意味が“不器用”に込められているはずです。逆に、「あいつは要領が良い」という場合、批判的な意味を込めていることが多いはずです。かつて時代の寵児と騒がれたホリエモンたちも器用すぎて不器用さが足らなかったのではないでしょうか。人間として大切なことは、「生きる道をわきまえる」ことです。そして、自分が正しいと信じた道を堂々と生きていく人間らしさこそが不器用さなのです。
「企業発展の原動力は思想である」(本田宗一郎)
思想とは、その人の社会生活や行動を決める、根本的な考えです。
つまり、その人の行動価値基準そのものなのです。この価値基準がはっきりしていて、しかも正しければ人生は軌道に乗るはずです。本田宗一郎氏は1人で起業し、世界のホンダにまで育て上げました。その根本にあった思想は、技術で「世界No.1」になるという夢をもってそれを貫き通したからです。
自分の経験+他者の経験から学ぶ
私たち人間が一生の間に自分ひとりで経験できることは限られていますし、狭い範囲でしかありません。その範囲の中でしか思考が働かないとすると、行動結果もおのずと小さなものになってしまいます。他者の経験に学ぶとは、まず本を沢山読むことです。他人の経験を自分の経験にすることができるからです。また、企業内には仲間がいるわけですから、良い結果を出す人の意見を聞く、行動法則性を見つけるなどしてプラスにしていけば、自分を大きくしていくことができます。
「俊敏性と機動力」こそ、競争力の源泉である。
今日の競争にはスピードが要求されています。そのため、企業にとって必要なのはアジリティ(俊敏性)ということになります。また、MR・MS活動に大切なことは、顧客の問題を解決する「ソリューション」ですが、その場合も「俊敏性」がなくては効果が半減します。同時に「機動力」も大切です。戦術とは戦場の状況に応じた機動力を発揮するための運用術です。この両方を発揮することが勝負のポイントになります。
「グローバル思考」を持て!
一般的にグローバル化とは、「資本や労働力の国境を越えた移動が活発化し、貿易を通じた商品・サービスの取引や海外への投資が増大、世界における経済的結びつきが深まること」を意味します。「木を見て森を見ず」という諺もあるように、自国内や業界内のみの思考では勝負に勝てません。医薬品業界においても、企業はグローバル市場での成長を目指さなければなりませんし、MRやMSも自社製品を売り込むためには“森”を見た営業戦略が求められます。競争の前提条件がどんどん変わっているのですから・・・
経営は経営者の情熱が明暗を分け、営業はMRの“パッション”で決まる。
人間社会では、論理で割りきれない問題に多くぶつかります。そのときの問題解決に必要なことは「熱き心」が根底にあるかないかです。そこからリーダーシップを発揮するパッションが湧き上がってくるのです。リーダーシップとは、「決断力と責任感」であり、パッションとはポジティブな態度を意味しています。
「内部統制は経営管理の仕組みであり、経営手法そのものだ」
最近内部統制のなさを露呈する企業があいついで新聞を賑せている。訪問看護最大手コムスンや処分を受けたNOVAなどである。両社とも上場企業である。なぜこのような不祥事が起きるのであろうか。自分の会社のみ儲かればいいのだと言った発想が根底にあるからである。「社会に貢献する」患者のため、受講者の身になって考えると言った、経営の根幹に係ることを無視してきたからであろう。経営はしっかりした経営哲学から行動を起こさなければ何時かは滅びることになる。
「競争は戦略の目的ではない」
競争とはそれぞれの市場において、そのマーケット・メカニズムのなかでどれだけ戦えるかということであり、戦略は実践的な方法論である。いちばん大切なことは、市場のマーケット・メカニズムを具体的に知ることである。しかも、マーケット・メカニズムは、刻々と変化する。特に最近ではスピードを上げて変化する。その変化を知らずして競争には勝てない。当然変化のメカニズムにしたがって、戦略のあり方も変えていかないと競争市場から脱落することになる。だからこそ「競争は戦略の目的ではない」のである。
「不安な時代こそ未来を信じて大きく考え大きく行動しよう」
今日ほど不透明で先が見えない時代はない。「BRICs」や「ネクストイレブン」と呼ばれる新興国の台頭でもわかるように、フラット化の世界で大きな変化が起きている。一方ではバイオ、ナノテク、ITなど技術革新も目覚ましい。変化が変化を呼んでいる。今こそビジョンを描き、信念をもって未来に挑戦していかなければならない。未来を信じるからこそ「明確なビジョン」を持てることになり、そのビジョンこそ「希望」と呼べるものではないだろうか。
「フラット化世界の現実を理解しその環境を行かせる企業が勝つ」
昨年4月に発売されたトーマス・フリードマン著「フラット化する世界上・下巻」のサブタイトルに“経済の大転換と人間の未来”とある。たとえば、アメリカにいる子供の家庭教師がインド人で、そのインド人はインドのバンガロールからテレビ電話を使って教えているのである。料金はアメリカにいるインド人に払う料金の10分の1ですむ。
このように、われわれは「世界のフラット化」がどういうもので、それが自分にどう関わってくるのかを知ることが大切である。
「成長するポイントは仮説構築と検証能力を身につけることだ」
仮説とは、ある現象を合理的に説明するため、仮に建てる説のことです。
実験や観察などの検証を通じ、仮説が証明されれば、「法則」として認められます。
IYグループのCEOを務める鈴木敏文氏がよく使う言葉が「仮説・検証」です。180円のおにぎりを発売する際、社員は、「高くて無理」と難色を示しましたが、鈴木氏は、「女性に量はいらない、美味しいものを少し食べたいのでは・・・」という仮説を建て、発売(検証)したら、大ヒットしたそうです。
「仮説構築力」と「検証能力」が、企業を大きく育てる「法則」と言えるでしょう。
改革を阻害する壁は、「理屈はそうだが実際には無理と思い込む」ことである
理屈とはものの道理です。「理屈上手の行い下手」ということわざがあるように、理屈は一人前でも、行動は半人前という人がいます。改革ができない組織や自己改革ができない人は、「それはできない」「そんなことは無理だ」「それは空理空論だ」などと決め付け、最初から挑戦を拒否してしまうのです。
まず挑戦する課題を掲げ、それを阻害する要因を突き止め、一つひとつ克服していくことが既成の壁を打ち破ることにつながるのです。
変化の激しい時代に「それはできない」は禁句です。
「こういう不安な時代こそ、新しい未来を創造する 気概をもつことが大切だ」
明日何が起きるかなんて、誰にもわかりません。ですから、起きることをコントロールすることはできませんが、起こったことに対する事後処理はコントロールできます。これが「リスクマネジメント」です。
ただ、“想定外” の出来事が起こる可能性もあります。私たちはそのような時代に生きています。だからこそ、明るい未来を信じ、明るい未来を自らの手で創造するという気概が必要なのです。
大きく考え、大きく行動することです。
現在の矛盾は未来の矛盾ではなくなる
矛盾という言葉は、中国「韓非子」の故事に基づいています。楚の国に矛と盾を売り歩く商人がいたそうです。その商人は、矛を売るとき「この矛はとても鋭いので、どんな堅い盾でも突き通す」と、また盾を売るとき「この盾はとても堅いので、どんな鋭い矛でも突き通せない」と宣伝しました。それを聞いたお客の一人が、「それではその矛でその盾を突いたらどうなるんだ?」と聞かれ、返答に窮したと言います。
現在のように環境変化が激しい時代は、技術の進歩や価値観の変化によって、矛盾が矛盾ではなくなってしまいます。ところで、皆さんは辻褄の合わない宣伝活動をしていませんか。
「明日は何が起きるか誰にも分かっていない。起きることはコントロールできないが、対応の方法はコントロールできる」
私たちは、人類史上例のない変革期に生きています。国境を超越したインターネット・ビジネスが次々と誕生しています。マイクロソフトが健康・医療情報の管理を支援するサービスプラットフォームを立ち上げましたし、グーグルも近く参入するそうです。
このような変化が次々と起きてくると、業界の枠組みも組織の枠組みも変わってしまいます。変化は、起きてから対応するのでは間に合いません。日頃から変化を管理し、その変化にすばやく対応できる準備をしておかなければなりません。皆さんの“変化対応力” が“企業力” であり、繁栄をもたらすのです。
「その商品やサービスに 顧客が払ってもよいと思う価値があるかどうかを問われている」
日経新聞の2006年調査によると、調査対象100品目中1割の10品目で首位が交代しています。例えば、洗濯機が松下電器から東芝に、シャーンプー&リンスがユニリーバから花王へ代わっています。
この結果は、消費者が持つ価値観の変化を如実に表しています。企業が提供する付加価値の高さが消費者の心を動かしたのです。
よく消費者は“浮気者” と表現されますが、常に懐と相談しながら最適なモノやサービスを求めているわけです。このことは「選択の時代」に入った医療機関や薬局にも当てはまります。